「ジョスカン・デ・プレ」の音楽的功績と、その生涯

1455年頃~1521年

ジョスカン・デ・プレの生涯

ジョスカンの生涯については、あまり詳しく分かっていないことが多く、特に出生の前半はかなり謎が多くなっています。

  • 1450年頃 生誕
  • 1459年 ミラノ聖歌隊の歌手となる
  • 14??年頃 オケゲムの門下に入る
  • 1473年 ミラノ公ガレアッツォ・マリア・スフォルツァの宮廷礼拝堂聖歌隊の一員となる
  • 1477年 アンジュー家のルネ善良王に仕える音楽団の一員となる
  • 1486年 ローマの教皇庁礼拝堂付属聖歌隊の一員となる
  • 1500年 フランス王ルイ12世の宮廷楽団の一員となる
  • 1504年 フランドルにあるノートル・ダム教会の主任司祭に就任
  • 1521年 没

ジョスカン・デ・プレの功績

評価

ジョスカンは、フランドルを中心に活躍した作曲家(フランドル楽派)で、ルネサンス中期に活躍した、ルネサンス期最大の巨匠です。

ルネサンス中期と言えば、”美と調和”を至上として、音楽だけでなく芸術全般に傑作が作られた時期でもあります。

あの巨匠、ミケランジェロに匹敵すると評されたり、個人作曲家の作品集が出版されることが珍しい時代に、3冊も作品集が出版されたりと、当時から名声が高かったことを物語っています。

もちろん作曲の依頼が殺到し、いわゆる”売れっ子作曲家”でした。

音楽的功績

ジョスカンは、ルネサンス前期に存在した楽曲様式を、完全な形にまで昇華させるほど、圧倒的な音楽力を発揮しました。

”美と調和”を目指した中期までのルネサンス音楽における、1つの到達点と言っても良いでしょう。

ですが、ジョスカンの音楽的功績は、音楽様式の完成度を高めるだけでなく、新しい様式を作り上げていったことにあります。

最も特筆すべきものは、ルネサンス前期に活躍したデュファイやオケゲムによってつくり上げられた「循環ミサ曲」を「通模倣様式」といわれるスタイルに進化させたことです。

循環ミサ曲は、定旋律(主に低音部)をミサ曲の各章で統一して使用する形式なのですが、ジョスカンはこれを進化させ、最初に出てきた定旋律が一定の間隔をおいて、他の声部においても再現(模倣)するスタイルを確立しました。

これにより、低音部だけでなく全声部に定旋律があらわれることとなり、このスタイルを「通模倣様式」と言います。

1つの旋律が前の旋律を追いかけるよう出てくるので、一種の輪唱のようなスタイルですね。

この「通模倣様式」はヨーロッパ全土に影響を与え、ジョスカンの名声をより高めることとなりました。

宗教改革の口火を切り、また音楽家でもあるマルチン・ルターが「ジョスカンは音符の主である。他の作曲家は音符の指図に従うが、ジョスカンの場合は、音符が彼の望み通りに表現しなければならない。」と賞賛したのは有名な話ですね。

ジョスカン・デ・プレの音楽

ジョスカンの作風は、これぞ「ルネサンス音楽」と言えるような均衡の取れた美しさがあります。

宗教的荘厳さと、緻密に計算された旋律、そして透き通るようなハーモニーが特徴的で、人間の声でもこんな世界が表現できるものだと、何度聞いても感心させられます。

現在でもジョスカンの楽曲はCDなどで発売されており、その人気は今だに健在です。

ジョスカン・デ・プレの作品

ジョスカンとくれば美しいミサ曲のイメージが強いですが、ミサ曲だけでなく、世俗曲もたくさん残しています。