なぜクラシック音楽を勉強した方が、作曲に有利になるのか?

音感の間違った認識

人間は、生まれながらにして音感を持っていると思いますか?

ちょっとわかりにくいので言い換えますね笑

「普通の人なら誰でも「不協和音」を聴いたら気持ち悪いと認識できると思いますか?」

おそらく、大半の人が「YES」と答えると思います。

ですが、本当にYESなのでしょうか?

この問題の答えは、過去にこんな実験で答えが出ました。

「今ここに、『ジャングルの奥地に住んでいて、生まれてから全く音楽を聴いたことがなく、歌も歌えなければリズムという概念も知らない20歳の男性』がいます。

この男性に、短2度の不協和音を聞いてもらいましょう。」

この実験の結果、この男性、、、

「不協和音」として全く気持ち悪く感じることはありませんでした。

不協和音でも、和音でも、ただの音なんです。

とても意外な結果でしたが、自分にも思い当たる節があります。

絶対音感がある友人と街を歩いていた時、街の中は不協和音がいっぱいで気持ち悪いと言っていたことを思い出しました。

自分には、全く不協和音には感じませんし、おそらく99%の人は街の雑踏が気持ち悪いなんて感じません。

これはこの実験と全く同じですね。

その友人は、音楽を勉強したから、ほんのわずかな不協音でも聞き分けができたのです。

音感というものは生まれながらにして持っていないのです。

つまり音感とは、生まれた後に「音」や「音楽」を聴いて、それを経験することによってのみ、伸びていく能力なのです。

音感を育てるには?

人間は生まれながらにして音感はありません。

もし、今いる人類が死んでしまい、楽譜や音源等の資料も焼けてしまって残っていないとするならば、今まで出来上がった音楽はすべて「無」になってしまいます。

新しく人類がまた誕生しても、0からのスタートになります。

ということは、音楽が進化するには、人が受け継いでいかなければなりません。

何度も受け継いで、そして受け継いだものに新たな要素を加えることによって発展していくのです。

音楽というのは、ほんの1000年くらい前まで、「和音」という概念がなかったのはご存知でしょうか?

音を重ねるのは「8度」のオクターブしか考えられなかったものが、300年もかけてようやく「5度」がハモりとして定着しました。そしてさらに長い月日をかけて受け継いで進化させて「3度」がハモりとして定着するようになりました。

そしてテンションや不協和音がカッコいい音楽まで現れるのですね。

ですが、新しく生まれてきた人間は、「5度」のハモリを認識するのに300年かかりますでしょうか?

死んでしまいますね笑

5度の和音が成立するまで300年かかったとしても、5度の和音のカッコいい使い方ががあふれている世の中なら、人間の脳は「5度」のハモリはカッコいいとすぐ認識できるのです。

なので、1000年かかってたどり着いたテンションや不協和音のカッコいい使い方も、幼少のころからCDやテレビなどでずっと聞いているなら、子供でさえそれがカッコいいと認識できるのです。

脳は、そうやって「カッコいい音のサンプル」さえあれば、自然と認識できるようになっているのでしょう。

なので、音楽を受け継ぐのは比較的難しいことではないのかもしれませんね。

こうやって、先人たちが築いてきた音楽を、われわれの音感は引き継いでいるのですね。

音楽の研究とは、先人の研究成果をいただくこと

では、作曲ががすごくなるには、どうすればよいでしょうか。

カッコいい和音や音楽をたくさん聞けば、頭の中の基準がそのカッコいいレベルになっていくと解説しました。

とすれば、できるだけたくさんの音楽に触れることが作曲能力の向上につながります。

あなたがもし作曲をしたことがあるなら、影響を受けたアーティストはたくさんいるでしょう。

影響を受けるということは、まさにそういうことですよね。

革新的な名曲や、自分が本当に心を打たれた音楽を研究すれば、その音楽をつくった人が何十年もかけて編み出した成果は、一瞬にしてすごいと頭に入ってくるのです。

つまり、先人のすごい研究成果を出した人をより多く研究すれば、圧倒的に近道になります。

ですが、もちろん音楽を聴くだけでは作曲能力の向上にはつながりません。

それを、理論的に体系的に研究分析して、どういったことがすごいかを理解しなければなりません。

自分が感動したことが、「9度」の和音ということが分析できたら、その「9度」の和音を自分の音楽にも取り入れることができますよね。

だから、音楽のコピーはとても重要になります。

もし時間がなければ、カッコいいと思った曲のコード進行だけでも耳コピを続けていれば、音楽の力は圧倒的に上達します。

先人たちの音楽力が、自分の血となり肉となっていくのですね。

先人の研究を進めていけば、たどりつくところ

今あなたがすごいと思っているアーティストを思い浮かべてください。

そのアーティストも、きっとすごいと思える音楽をたくさん勉強してきたと思います。

その元になったすごい人を、、、

と、さかのぼっていけば、必ずたどりところがあります。

「バッハ」「ベートーベン」「モーツァルト」といった巨匠に必ずたどり着きます。

この方々は、「バロック」「古典派」といわれる時代に、今の音楽の基礎になっている音の機能を確立させた方々です。

音楽のバイブルといっても良いでしょう。

今、刺激のある音楽を研究するのももちろん良いですが、その刺激のある音楽のもとになっているクラシック音楽を勉強すると、その刺激のある音楽の理解度がさらに深まります。

人間を研究するには、人間祖先の理解が絶対に必要なように、根本を理解することは何においても有利になります。

ですが、、、クラシックの勉強って、あまりにも膨大であまりにも奥が深いですよね。

でも、奥が深く誰でもできないくらいに難しいからこそ、本当に理解したとき、人より一歩上に立つことができるのです。

これが、「クラシックを研究する意義」となります。

クラシックの聴き方

今の若い人は特に、バッハやベートーヴェンはほとんど好んで聞かないと思います。

そういう人たちは、何か物足りないと言います。

確かに、今の時代に合った音楽はたくさんできているので、それはもちろん刺激的だと思います。

なのに、クラシックが今の世の中でも圧倒的な評価を得ているのはなぜでしょう?

クラシックの価値とは何なのでしょうか?

インターネットがないバッハたち巨匠が生きた時代、住んでいるところよりはるか遠い地域の音楽なんて知るすべはありませんでした。

情報は圧倒的に少ないです。

だから、クラシックとは、その曲の生まれた時代、その地域でしか作れなかった曲といえます。

数百年前という時代の街の雰囲気、その時代背景だからこそ生まれたからこそ深く味わいがあり、魅力があるのです。

じゃあ、民族音楽と同じじゃない??

と思うかもしれません。

その通りです。

クラシック音楽とは、西洋の地域で爆発的に発展した壮大な民族音楽なのです。

最強のクオリティを誇る民族音楽といってもよいでしょう。

古酒の様に、クラシックの巨匠の時代の音楽は、現代では真似ることができても、その本質をもってつくることはできません。

その古い楽曲が現代でも色あせないからこそ、そこにクラシックの価値があります。

一度、クラシックの歴史を勉強した上で、巨匠たちの音楽を聴くと、より深くその曲に入れるはずです。