作曲家になりたい。でもクラシックの勉強はしんどいし、そもそもどこから手をつければいいのかわからない——。
専門学校で作曲を教えていると、こういう声を本当にたくさん聞きます。
体感でいえば、生徒の9割は「作曲は難しい」と感じているんです。
そこで今回は、なぜクラシックを勉強すると作曲に有利になるのかを、「音感とは何か」という根っこの部分から掘り下げてみます。
鍵になるのは、アマゾンの奥地で行われたある実験と、ハモリが生まれるまでにかかった約1000年という時間です。
目次
「音感は生まれつき」という大きな勘違い
不協和音を気持ち悪いと感じるのは、本能なのか?
人間は、生まれながらにして音感を持っていると思いますか?
ちょっとわかりにくいので言い換えますね。
「普通の人なら誰でも、強い不協和音を聴いたら気持ち悪いと感じる」と思いますか?
おそらく、大半の人が「YES」と答えるはずです。
濁った響きを聞けば顔をしかめ、きれいなハーモニーを聞けばうっとりする——それは人間に最初から備わった本能だと、長いあいだ当たり前のように考えられてきました。
じつは音楽や脳の研究者たちでさえ、最近までそう信じていたのです。
アマゾンの奥地で、その常識がひっくり返った
ところが2016年、科学誌「Nature」に載ったひとつの実験が、この常識をひっくり返しました。
舞台はボリビアのアマゾン奥地。
そこには、西洋の音楽にほとんど触れることなく暮らしてきた「チマネ族」という先住民がいます。
研究チームが彼らに協和音(きれいに溶け合う響き)と不協和音(濁ってぶつかる響き)を聞かせて心地よさを評価してもらったところ、結果はなんと「どちらも同じくらい心地よい」。
私たちが思わず眉をひそめるような濁った響きすら、彼らにとっては不快でもなんでもなく、ただの「音」だったのです。
都会に近づくほど、協和音が好きになる
この実験には続きがあって、個人的にはここが一番ゾクッとするところです。
同じボリビアでも、都市部に住む人たちは協和音のほうを好みました。
そしてアメリカに住む人たちは、さらにはっきりと協和音を好んだのです。
西洋型の音楽に触れる量が増えるほど、「きれい」と「気持ち悪い」の線引きがくっきりしていく。
つまり音感とは生まれつきの性能ではなく、生まれたあとに聴いてきた音楽によって、あとから育てられる能力だということです。
ピタゴラスの「美しい比率」さえ、絶対ではなかった
ついでに言うと、「単純な整数比の響きほど美しい」と説いた古代ギリシャのピタゴラスの理論にも、近年メスが入りました。
2024年に発表された研究では、人は数学的に完璧な響きよりも、ほんのわずかにズレた響きを好む傾向があり、しかも楽器の音色によって協和の感じ方そのものが変わると報告されています。
美しい響きの基準は、数式で永遠に固定されたものですらなかった。
音感がいかに「あとから作られるもの」か、ここからも見えてきますよね。
絶対音感の友人と、エンジン音を聴き分ける友人
この実験結果、じつは筆者にも思い当たる節があります。絶対音感を持つ友人と街を歩いていたとき、彼は「街の中は不協和音だらけで気持ち悪い」と言っていました。
筆者には雑踏がただの雑踏にしか聞こえませんし、おそらく99%の人は街の音を気持ち悪いなんて感じないでしょう。
逆のパターンもあります。大学の頃、車のエンジン音を聞いただけで「このメーカーのエンジン音が最高なんだよな〜」とメーカーや車種までほぼ当ててしまう友人がいました。
膨大な数のエンジン音を聞き込んできたからこその芸当ですが、筆者にはただのやかましい大きな音にしか聞こえません(笑)。
聴き込んだ量だけ、耳は世界を細かく聞き分けるようになる——チマネ族の実験と、根っこは同じ話なんです。
ハモリは、たった1000年前の「発明品」だった
9世紀、聖歌に2本目の声部が重なった
音感が「受け継がれて育つ」ものだとすると、音楽の歴史の見え方がガラッと変わります。
じつは1000年ちょっと前まで、西洋音楽に「和音」という概念はありませんでした。
教会で歌われていたグレゴリオ聖歌は、全員が同じメロディーを歌う一本線の音楽で、音を「重ねて響かせる」という発想自体がなかったのです。
その聖歌に、4度や5度(ドに対するファやソ)の間隔で平行についていく2本目の声部が付け加えられるようになります。
「オルガヌム」と呼ばれるこの歌い方の最古の記録は、9世紀の音楽理論書に残っています。
人類のハーモニーは、ここからようやく歩き始めました。
「3度」が仲間入りするまでの、気の遠くなる時間
今のポップスでハモリの主役といえば3度(ドに対するミ)ですが、当時の理論では、3度は長らく協和音の仲間に入れてもらえませんでした。
理論書の中で協和音の一員として認められていくのは13世紀ごろとされますから、オルガヌムの誕生からざっと300〜400年もかかった計算になります。
たった1つの音程を「心地よい」と認めるのに、何世代分もの人生が費やされた。
そしてドミソの和音が当たり前になり、テンションコード(和音にあえて複雑な音を足した響き)や不協和音をカッコよく使う音楽にたどり着くまで、人類はさらに数百年を積み重ねています。
現代の子どもは、1000年分の成果を数年で受け取れる
では、現代に生まれた子どもが5度のハモリを「気持ちいい」と感じられるようになるまで、300年かかるでしょうか。
かかりませんよね。カッコいい使い方の実例が世の中にあふれているので、脳は何度も聞いているうちに勝手にそれを基準として取り込んでいきます。
先人が1000年かけてたどり着いたテンションの響きでさえ、幼い頃から浴びるように聞いていれば、子どもでも「カッコいい」と感じ取れるのです。
裏を返せば、もし今の人類が全員いなくなり、楽譜も音源もすべて燃えてしまったら、音楽はゼロからのやり直しになります。
次の人類はまた、和音の発見に何百年も費やすことになる。
音楽は、人が受け継ぐことでしか進化できないものなんです。
クラシックとは「生き残り続けた音のデータベース」
作曲の研究とは、先人の研究成果をいただくこと
ここまでの話をつなげると、クラシックの正体が見えてきます。
数百年というとてつもなく長い時間、無数の聴き手のふるいにかけられて、それでも「残す価値がある」と判断され続けた音楽——それがクラシックです。
人類が1000年かけて積み上げた響きの研究成果が、楽譜という形でそっくり保存されているわけです。
だとすれば、作曲の力を伸ばす近道ははっきりしています。
今も残っている楽曲にできるだけ多く触れることです。
あなたに影響を与えたアーティストがいるなら、その人が何年もかけて編み出した成果を、あなたは聴くだけで受け取っている。
「影響を受ける」とは、まさにそういうことですよね。
聴くだけでは足りない——耳コピと分析のすすめ
ただし、聴くだけでは作曲能力は伸びません。その音楽の何がすごいのかを、理論の言葉で説明できるところまで分析して、初めて自分の武器になります。
心を打たれた響きの正体が「9度の音」だと分析できれば、その9度を自分の曲に取り入れられるようになるからです。
筆者自身、プロになって締切に追われていた時期に、好きな曲を耳コピして理論で分析するという方法を始めました。
すると制作のスピードと質が目に見えて上がり、今では専門学校の授業でもこのやり方を教えています。
先人の音楽力が、文字どおり自分の血となり肉となっていく感覚がありました。
時間がないなら、コード進行だけでいい
とはいえ、1曲まるごと耳コピするのは大変です。そんなときは、カッコいいと思った曲のコード進行だけを耳コピしてみてください。
それを続けるだけでも、和音の引き出しは確実に増えていきます。
さかのぼれば、必ずバッハにたどり着く
今あなたがすごいと思っているアーティストを思い浮かべてください。
その人もまた、すごいと思える音楽をたくさん研究してきたはずです。ではその元になった人は、そのまた元は——とさかのぼっていくと、必ずたどり着く場所があります。
バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンといった巨匠たちです。
彼らが生きたバロックや古典派と呼ばれる時代に、今の音楽の土台となる「音の機能」が確立されました。
いわば音楽のバイブルです。
刺激的な今の音楽だけを研究するのもいいのですが、その刺激の元になっているクラシックを学ぶと、今の音楽の理解度が一段深くなります。
人間を本当に理解したければ祖先の歴史が欠かせないのと、まったく同じ構造です。
クラシックの勉強が膨大で、あまりにも奥が深いのは事実です。
でも、誰にでもできるわけではないほど難しいからこそ、本当に理解したとき、人より一歩上に立てるのです。
クラシックの正体は「最強の民族音楽」である
インターネットのない時代にしか、作れなかった音
ここで、クラシックの「価値」についても考えてみましょう。
今の若い人の多くは、バッハやベートーヴェンを好んでは聴きませんし、「クラシックはなんだか物足りない」という感想もよく耳にします。
現代の刺激的な音楽と聴き比べれば、そう感じるのも無理はありません。
それでもクラシックが圧倒的な評価を保ち続けているのはなぜか。
バッハたちが生きた時代にはインターネットどころか録音すらなく、遠い土地の音楽を知るすべはほとんどありませんでした。
だからクラシックは、その時代・その土地の空気の中でしか生まれ得なかった音楽なのです。
数百年前の街の雰囲気や時代背景ごと響きに刻まれているからこそ、深い味わいがあります。
西洋で爆発的に発展した、壮大な民族音楽
「それって民族音楽と同じじゃない?」と思った方、鋭いです。
その通りで、クラシック音楽とは、西洋という地域で爆発的に発展した壮大な民族音楽にほかなりません。
最強のクオリティを誇る民族音楽、と筆者は呼びたいくらいです。
古い年代物のお酒のように、巨匠たちの音楽は現代の技術で真似ることはできても、その本質ごと作り直すことはできません。
にもかかわらず古びないどころか色あせもしない——そこにクラシックの価値があります。
歴史を少し学んでから巨匠たちの音楽を聴くと、曲の中へ入っていける深さが変わるはずです。
まとめ:目の前の宝箱を、開けてみませんか
音感は生まれつきではなく、聴いて受け継ぐことで育つ能力でした。
そしてクラシックは、人類が1000年かけて積み上げ、数百年のふるいに耐えて生き残った響きのデータベースです。
これを研究することは、先人たちの研究成果をまるごといただくことであり、作曲家にとってこれ以上の近道はありません。
「クラシックには興味がない」と言ってしまうのは、目の前に宝箱があるのに、入れ物が古そうだからと開けずに素通りするようなものです。
思い切ってふたを開ければ、中には驚くほどの金銀財宝が詰まっていますよ。
