目次
時代背景
1600年頃から1750年までの間を「バロック音楽」の時代と言います。ルネサンス音楽時代の終わりから、バッハの死までですね。
この時代の音楽は、どのような発展の歴史をたどったのでしょうか。
この頃の時代背景をたどるとそれが明確に見えてきます。
ルネサンス期からバロック期へ以降する16世紀ごろ、かつて強大な権力を持っていた教会も弱体化し、諸侯や貴族たちも百年戦争などで疲弊し、地方に権力が分散し、強い力が発揮されなくなりました。
その中で、チャンスと見た王朝がここぞとばかりに中央集権化を図り、絶対的な権力を得ることに成功します。
いわゆる「絶対王政」というやつですね。
世の中はガラリと変わり、王様が世の中を支配する時代になります。
この絶対王政をいち早く樹立したフランスは、王の力を誇示するため「ヴェルサイユ宮殿」をはじめとする豪華絢爛な建物や様式をつくりあげました。今では考えられませんが、国のトップが贅沢三昧することをよしとした時代です。庶民の暮らしなど全くわからず、「パンがないのなら、ケーキを食べればいいじゃない」というフレーズが生まれたことでも有名ですね。
王や貴族たちは、市民から搾り取った血税で夜な夜な豪華なパーティをして、国が揺らぐほどのお金を浪費するのは日常茶飯事でした。
この貴族は世襲がほとんどなので、貴族に生まれたら貴族だし、一般市民として生まれたら、市民としてしか生きていけない時代です。アメリカンドリームのようなサクセスストーリーなんてありえない時代なので、一般市民はぐっと耐えるしかなかったのです。
このような時代背景の中、市民の不満がたまることは明白で、市民の怒りのパワーが徐々にたまっています。そうなると、市民が暴動やクーデタを起こすのは当然ですよね。
そのパワーにより、あっけなく王政の時代は終わってしまいます。
クーデタにより王や貴族を倒した市民は、今度はその市民によって国づくりが行われるようになります。
そして現代にもつながっていく資本主義へと、世の中は大きく進化していきます。
なのでこのバロックの時代は、「近代化」への架け橋に過ぎない、、、という時代だったと言えます。
バロック音楽の、誕生と進化
この時代、王や貴族が贅沢三昧だったのですが、音楽も彼らの贅沢の一部として使われました。大金を使って人気作曲家を雇い、イベント毎に曲を作らせました。
また、作曲家や演奏家も王に認められるために切磋琢磨して音楽を研究します。宮廷の音楽家になるとお金がお金が舞い込んできますからね!ヴィヴァルディやリュリといった作曲家が宮廷音楽家として活躍しました。
なのでこの時代は、王や貴族によって音楽の発展や進化が支えられたと言えます。「きらびやかな王侯貴族の音楽文化」がバロック音楽の中心ととらえてください。
しかし、バロックといえばバッハのイメージが強いですが、バッハはこの時代の流れに沿うことなく、ドイツの片隅でそっと登場します。バッハは、この時代の中心であったオペラの作曲はしていません。この理由は後ほど詳しく記載していきます。
また、宮廷音楽が主流ではありますが、全盛期に比べれば影を潜めた教会もたくさんのミサ曲を必要としており、教会主導の音楽もまだまだ、音楽の発展を助けたことも忘れてはなりません。
バロック音楽の3つの特徴
①ドラマティックな音楽の試みが行われる
ルネサンス時代の音楽の象徴は、「美や調和」のポリフォニー音楽でした。
この音楽スタイルは大変美しい和音を奏でることはできますが、音楽的に強弱の対比や起伏がつくりづらく、それぞれの旋律が別々の歌詞を歌うため言葉(歌詞)の意味がわかりづらいことがデメリットでした。
そしてルネサンス後期から、このデメリットからの脱却を目指す動きが活発化します。ポリフォニー音楽とは真逆に、ある1つの声部(メロティ)を主役とし、歌詞を歌います。そしてそれ以外を脇役とする様式が生まれます。現代の様式にかなり近いですね。
このことにより、歌詞がわかりやすくなり、音楽に感情表現やドラマティックな展開が可能となりました。
いわゆるホモフォニー音楽と呼ばれる様式ですね。この様式の発展により、バロック時代に新しい音楽のジャンルが生み出されました。
それがオペラと協奏曲です。
オペラ
バロック音楽の一番の特徴といえば、オペラです。
音楽で、人間の喜怒哀楽や人生をドラマティックに表現しようとし、オペラにたどりついたことは、至極当然の結果だったのかもしれません。
現在確認できる最初のオペラは『ダフネ(1597年頃)』で、ヤコポ・ペーリ作曲の作品です。また、現在でも上映されているモンテヴェルディの「オルフェオ(1607年)」も忘れてはなりません。
そしてオペラ専用の劇場がつくられるほど大流行し、王や貴族だけでなく、ほんの一部の裕福な市民の社交の場として繁栄しました。
協奏曲
この時期に、ただ協奏曲がたくさん作られたという意味だけではありません。
協奏曲の原点は「対照から生まれるダイナミズム」ということです。音楽の中に、ソロパートと合唱パートの「音色」的な対照、楽曲内での「音量」的な対照を求めました。
それぞれを競わせるように対照させ、ダイナミズムを求めたのがバロック時代の音楽です。
ロマン派音楽や近代音楽のド派手なダイナミズムに慣れた今の時代からすると、バロックの音楽にそこまでダイナミズムを感じないかもしれませんが、当時からすればとても斬新で刺激的なものでした。
ルネサンス期の「均等美」とは真逆の発想であることが、バロック期の音楽的な進化ととらえることができます。
楽曲としては、J・S・バッハのブランデンブルグ協奏曲などが有名ですね。
ヴィヴァルディが、「急~緩~急」といった躍動感のある3楽章制を確立したことも忘れてはなりません。
②王侯諸国の権力を飾り立てる音楽が流行
バロックといえばオペラのイメージが強いですが、実際のところ、中心となった音楽は「きらびやかな王侯貴族の音楽文化」です。
絶対王政の時代の中、音楽は、王や裕福な貴族の権力を飾り立てるためのものになってしまいました。市民が芸術の復興を目指したルネサンスとまったく逆の方向ですね。
王侯貴族が晩餐会や舞踏会、花火、サロンで楽しむために、音楽が作られたのです。なので室内楽が多数作られました。
裕福な貴族たちは、こぞって時代を彩った作曲家に仕事を依頼し、贅沢の限りを尽くします。その贅沢の頂点が、オペラ音楽でありました。
③楽器の発達により、器楽曲が大幅に増加
バロック後期になると、楽器が中心となる楽曲が増えてきます。楽器の性能が上がり、楽器で高度な作曲技術や演奏技術を表現することが可能となったからですね。
ヴァイオリン ヴィオラ チェロ(ヴァイオリン属)、コントラバス(ヴィオール属)は、すでに16世紀にはできていたのですが、17~18世紀に盛んに制作されるようになりました。
その他、フルートなどの木管楽器、18世紀にはフォルテピアノが出現します。現代で使われている楽器の原型がこの時代にたくさん作られたのですね。
この頃に成立した独奏楽器の技術を誇示するような音楽スタイルは、古典派、ロマン派にまで受け継がれていくこととなります。
音楽技術の発展、進化
バロック時代は、音楽に、より感情やドラマティックな部分を求めました。強弱の対比が生まれ音楽は躍動しはじめます。
ルネサンス音楽の、各声部が均等な力関係ゆえ、圧倒的に美しいけれども音楽に「強」の部分と「弱」の部分は生まれませんでした。
ここがもっとも大きな進化ですが、それを支えた具体的な音楽的な進化の内容を見てみましょう。
通奏低音の確立
バロックといえば、バッハなどでフーガ等のイメージが強いですが、もっとも特徴的な音楽的な発展は通奏低音です。
通奏低音とは、文字通り一曲を通して支えていくベース部分のことです。
ですが、通奏低音といわれるとすごく難しいように思われますね。
現代で例えると、ジャズピアノがしっくりくるかもしれません。ピアノ左手がベースを弾いて、そのベースに合わせた和音を右手でカッコ良く間を埋めていくイメージです。
このように通奏低音とは、楽譜でコード名をあらわす数字(4とか7とか)に従って、即興で伴奏をつけていくスタイルのことです。
そして、そうやって出来上がった伴奏の上に、ソロ楽器がメロディを奏でていきます。
通奏低音は、バロック期に良く見られましたが、古典派の時代にはあまり見られなくなっていきます。
和声の進化
ルネサンス期に発展したポリフォニーの和音は、それぞれが独立した声部(メロディ)で成りりたっているので、ところどころアタックが重なるところはありますが、ピアノコードのようにブロックで和音が響くことはありません。
ですが、バロック時代になると、そういったたまたまメロディが合わさったときにできた和音ではなく、意図的に音を同時に鳴らすようになります。
横のメロディの連結ではなく、縦のハーモニーが見えるようになり、柱のように和音が音楽を支えるようになります。
教会旋法の淘汰、長調と短調の明確化
派生系も含めるとたくさん種類のあった教会旋法が、この頃に長調(アイオニアン)と短調(エオリアン)に絞られてきます。
導音が主音の長7度でになったことなど、音楽的な機能が強い音が存在するスケールのみが残ってきました。
これ以降、教会旋法は特殊な音楽を作るために使われるスケールとなっていきます。
対位法の進化
ルネサンス期に、ジョスカンやパレストリーナが対位法の模範となる作品を多数残しました。巨匠バッハもこのパレストリーナの音楽に感動し、研究しました。
ルネサンス期の対位法は、主に合唱中心でしたが、楽器の発達したバロック期では、楽器を使った対位法の楽曲も多数製作されるようになります。
バッハが次のステップに持ち上げた対位法やフーガと呼ばれる技法は、バッハが生まれる200年も前のルネサンス期にすでに登場ていた作曲手法であり、ホモフォニーが主流のバッハの時代では、すでに古い手法であったことは忘れてはいけません。
バロック時代の音楽ジャンル
この頃、受難曲、オラトリオ、合唱協奏曲、カンタータなどの音楽ジャンルが存在していましたが、どれも現代には残っていないスタイルです。
なのでバロック以前の音楽ジャンルやスタイルは、われわれ現代人にとってはつかみにくい、差がわかりにくいものですよね。
もちろんバロック時代には、交響曲はもちろんのこと、ピアノ協奏曲や弦楽四重奏など現代で馴染み深い形式はまだ現れていません。
これらは、次の古典派の時代にようやく誕生することになります。
それでは、バロック時代に流行した音楽スタイルを説明していきます。
トッカータ
主に、鍵盤楽器で演奏される即興的で技巧的な楽曲のことです。16世紀のイタリアではじまり、その後ドイツにも広まっていきます。バッハのオルガン曲が有名ですね。
カンタータ
単声、または多声の器楽伴奏付の大規模な声楽作品のことです。または交声曲。「歌われるもの」を意味します。
オラトリオ
イタリアで始まった、宗教や、道徳的なテーマによって作られた、独唱、合唱、管弦楽のための大規模な音楽作品のことを言います。オペラなどとは違い、動きや衣装、舞台などの背景装置を伴わない叙事的な楽曲のことです。
このスタイルは、古典派、ロマン派へと受け継がれ、名曲がたくさん残されています。
アリア
叙情的で、メロディアスな独唱曲で、オーケストラなどの伴奏で歌われます。オペラ、オラトリオ、カンタータ等の中の作品の中で、一楽曲として存在します。
「誰も寝てはならぬ(プッチーニ)」、「G線上のアリア(J・S・バッハ)」等が有名ですね。
バロック時代の作曲家
前期
- モンテヴェルディ
- ヤコポ・ペーリ
中期
- パッヘルベル
- ブクステフーデ
後期
- J・S・バッハ
- ヘンデル
- スカルラッティ
- ラモー
- ヴィヴァルディ
- アルビノーニ
- クープラン
- リュリ
バッハがひっそりと誕生、そしてひっそり終幕
現代にまで名前を残している作曲家は、ほとんどがその時代で一代センセーションを起こし、その時代を代表するような人物です。
ですが、バッハはまったくそれにあてはまることはありません。バッハが生きていた当時、どちらかというと作曲家より、優秀な、地方のオルガン奏者のイメージが強かったようです。
バッハは、この時代の最先端のオペラや宮廷音楽にはほとんどかかわっていません。
バロックは、2つの世界があったことを理解する
バロック時代におけるバッハの位置づけを理解するには、キリスト教の歴史を理解するとわかりやすいです。
キリスト教は、宗教改革によってカトリックとプロテスタントに分裂しました。
ざっくりとこんなイメージです。
- カトリック=派手好きな王侯諸国(スペイン、フランス、イタリア、オーストリア)
- プロテスタント=地味で敬虔な市民主導の国(ドイツ、ベルギー)
まずカトリックですが、権力を誇示するために派手に振舞った絶対王政諸国です。ド派手好きで、たくさんの音楽家を輩出し、世の中の音楽をしていたのはこちらです。
そして、そのカトリックに異を唱えたのが、控えめな文化を好む敬虔なプロテスタントです。
バッハは、そんな地味なプロテスタントの街(ドイツ)でひっそりと誕生します。
バッハはそのプロテスタントの地の出身なので、ド派手な文化にはあまり興味を持ちませんでいた。敬虔な宗教音楽を中心に作曲していたので、もちろんオペラ音楽も作っていませんし、バロック時代の音楽の中心地イタリアはおろか、フランスやオーストリアにも行ったことが無かったそうです。
こういったこともあり、ヘンデルやテレマンなどこの時期に大活躍した作曲家に比べれば、ただの一地方の個性的な作曲家程度にとどまっていました。
このことが、バロック音楽の相関図をあまりにも複雑にしています。
当時の音楽は、「王侯諸国の権力を飾り立てる、きらびやかな音楽文化」でした。贅沢な音楽やオペラ音楽が世の中の花形で、世の中の中心です。ですが、現代から見れば、ドイツの片田舎に住むバッハがバロック時代の中心にいます。
なので、バッハがいくら現代で巨匠であっても、「バロック時代=バッハの音楽」という見方は間違っており、「宮廷のきらびやかで派手な音楽」と、「バッハの音楽」と、2つの世界があったという見方をしなければならないのです。
そして、バッハ没の1750年にバロック時代が終焉します。
バッハの当時の評価
バッハは、宗教音楽や対位法中心で作曲をしていましたが、対位法はルネサンス期にかなり発展した音楽様式なので、当時はかなり時代遅れな音楽に映ったのかも知れませんんね。
実際、当時の音楽評論家から、難解すぎる音楽で時代遅れである酷評されていた事実もあります。
でも、バロック音楽の集大成となる作品を多数制作していたのです。
個人的には、この時代のバッハのベースラインは秀逸に感じます。バッハの「管弦楽組曲第1番」の冒頭部分と聴くと、明確に新しい時代のベースの役割が誕生していることがわかります。「うねるベース」が存在し、音楽の中でも重要な位置づけを担っています。
「管弦楽組曲第1番」はあまり知られていない楽曲ですが、「これぞ巨匠バッハ!」と言いたくなるような楽曲なので、ぜひ一度みなさんにも聞いてもらいたい一曲です。
バロック時代の楽器
声楽曲が中心だったルネサンス期に比べ、バロック期は楽器の性能が飛躍的に向上しました。従来の楽器にも改良が加えられ、新しい楽器もたくさん開発されます。
そのことから、室内楽が中心となっていきました。
それでは、バロック時代に使われた楽器を見ていきましょう。
弦楽器
ヴァイオリン
ヴィオール属にヴァイオリンが加わります。バロック期には、ほぼ現在のヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの形ができあがっていました。
この頃、ストラディヴァリやガスパロ・ダ・サロといった優秀な楽器職人が多数存在し、現在にも残る名機を多数製作しました。
リュート
中世からルネサンス、バロック前期まで積極的に使われてきたリュートですが、ヴァイオリンの出現により次第に陰を潜めていきます。
管楽器
フルート
フルートが活躍し始めます。中世によく使われていたリコーダーは、フルートの出現により活躍の場が激減します。
オーボエ、ファゴット
まだ現在の形ほど複雑ではありませんが、オーボエやファゴットなどの木管楽器がよく使われるようになります。
金管楽器は、この時代にはまだ機能性は確立されていません
鍵盤楽器
パイプオルガン
パイプオルガンはこの時代の花形の一つでもあります。パイプオルガンの名曲も多数生まれています。
ピアノフォルテ
現在のピアノの原型です。実は、バッハもピアノフォルテを試奏しています。近代的なピアノは19世紀以降に登場します。
チェンバロ(ハープシコード)
バロック期に登場したチェンバロは、バロック音楽を象徴する花形の楽器として重宝されました。
打弦楽器
ダルシマー
ラテン語で「甘く美しい旋律」という意味を持つ楽器。弦を叩いて音を出す、当時としては珍しいスタイルで、ピアノの原型ではないかと言われている。
その幻想的な音色は、現在でもファンが多い。
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まとめ
音楽の発展というのは、世の中の動きや時代と密接に結びついていることが多々あります。バロックももちろん例外ではありません。
バロック時代、主役声部の無いポリフォニー音楽から、主役の声部がはっきりとするモノディ様式(ホモフォニー)が主流となり、主役であるメロディはより強い存在感を示しました。
また、バロック時代は絶対王政です。絶対王政というと、主役である王が絶対的存在感を示し、世の中の主役となります。
この、主役が存在感を占めるというところは、世の中と音楽スタイルが不思議と一致しています。これは偶然にしてはあまりにも良くできすぎていると思います。
ルネサンス期の大航海時代に、夢やロマン、荒々しい音楽や芸術が流行ったりしたのも、やはり音楽がその時代を鏡のように映しているからだと思います。
世の中の流れと、その時代に求められる音楽は本当に一致することが多いですね。
現世でも、次の音楽はどういったものが流行るか予想するには、世の中の流れをまずつかむことが大事になってくるかもしれません。
ちなみに「バロック」とは、「いびつな形をした真珠」という意味です。ルネサンス時代の「美しい調和」の取れた芸術とくらべて「いびつ」と揶揄された意味をこめられていたのです。
そのいびつな真珠は、市民革命によって破壊されてしまいます。
今となってはすばらしい芸術の時代ですが、当時はこのような意味でとらえられていた時代です。時代を動かすような新しい流れが生まれると、保守派からの攻撃されるというのは、いつの時代でも同じなんですね。
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