ルネサンス音楽

時代背景

ルネサンス音楽とは、1400年頃から1600年頃までの期間に発展した音楽を指します。

まず、ルネサンス音楽が登場するきっかけになった時代背景をまとめていきましょう。

13世紀頃までの中世の世界は、教会支配があまりにも強く、教会の教えに従わないものは生きていくことはできませんでした。もちろん学問や生き方も教会が支配し、「自分の表現」なんてできない時代でした。その中で、ローマやギリシアで栄華を極めた文化は消滅し、文化的には暗黒といわれる時代となります。

しかし14世紀にはいると、十字軍の度重なる失敗や教皇庁の分裂など、教会の権威が大きく崩れ去ってゆき、強大な教会支配の世の中から大きな方向転換が起きました。

その中で力をつけてきたのが、香辛料貿易や銀行などで莫大な富を得たイタリアの商人たちでした。そしてその商人階級が中心となって、世の中が動かしていくようになり、多額の資金を投資して芸術や学問を保護し、文化的な活動を支えました。

個人が、自分の表現を発信することができた、あのローマやギリシア文化の「復興」を目指したのです。

権力や権威に服従し、「自分で考えること」を禁じられていたのに、「自分で考え創造すること」がOKとなったら、これほどの喜びはないですよね。

その力がルネサンス芸術を支え、作曲家が自分の感性を音楽で表現し、より高度な技術を目指す芸術的な側面を急速に伸ばすことができました。

音楽が、いわゆるわれわれのイメージする「芸術」となったのが、このルネサンスの時代です。

一点注意したいのが、このルネサンスの時代は、決して神を否定したり、人間が神より上に立とうとしたわけではありません。神は神として存在し信仰するのは大前提として、人は人として存在し現世に意味を持ってを生きて行けるようになったということです。教会の支配力は弱くなったとはいえ、まだまだ社会への影響力と富は健在ではあったことは覚えておかなければなりません。

ルネサンス音楽の、誕生と進化

中世音楽の解説でも触れたように、中世音楽時代の後半にヨーロッパの各地で音楽が発展し、次の重要な3つの要素が誕生しました。

  • フランスで生まれた、複雑で音楽的なリズム
  • イギリスで生まれた、3度6度のハーモニー
  • イタリアで生まれた、印象的なメロディ

「リズム」「ハーモニー」「メロディ」いうと、現代的な音楽でも3大要素と言われていますよね。

この3大要素が成立し、融合して誕生した音楽を、ルネサンス音楽と呼びます。

こうして生まれたルネサンス音楽は、15~16世紀にかけてさらに大きな進化を遂げるのですが、その様式によって前期、中期、後期に分けられます。

  • 教会主導の音楽から脱却し、芸術となった音楽が「美しさ」を求めた前期
  • その前期の美しさに様々な音楽様式が発達した中期
  • ルネサンス期に育った音楽を否定し、音楽で感情を表現することに挑戦した後期

の3つです。

それでは、それぞれの時代を詳しく見ていきましょう。

前期のルネサンス音楽(1420~1470年頃)

ブルゴーニュ楽派の活躍

フランスの複雑なリズム、イギリスの3和声、イタリアの旋律は、ブルゴーニュ楽派のデュファイによって融合され、西洋音楽は大きく発展しました。

スタイルとしては、中世音楽を引き継ぎ、無伴奏の宗教合唱曲が中心ですが、中世音楽のような尖った硬く重い響きとは明らかに印象が違い、おおらかなメロディと温かみのある響きが特徴です。

例えるなら、中世音楽の4度5度の完全協和音程を基軸にしたハーモニーは、大理石の柱のごとく冷たく硬い印象ですが、ルネサンス音楽の不完全協和音程の3度6度のハーモニーは、山間から湧き出す湧き水のような輝きや柔らかさを音楽に与えました。

その輝きは、神の権威に畏れることなく、人々が生きていく力や喜びがあふれだしているように感じます。

またこの頃は、3声のポリフォニー音楽が盛んに作られ、音楽ジャンルとしては、ミサ曲、モテート、シャンソンなどが多く作られました。

新しい様式

循環ミサ曲

複数の楽章があるミサ曲を、どの楽章でも定旋律を使って統一感を持たせようという方式です。つまるところ、ひとつのテーマをすべての楽章で使い、楽章を関連づかせる手法です。

この形式は、バロック以降のソナタ形式や交響曲でも用いられることとなり、クラシックの基礎となる様式となったことが歴史的において重要な点です。

ブルゴーニュ楽派が開拓した新しい様式は、中期のジョスカン・デ・プレによって完成系にたどりつきます。

対位法

対位法とは、ある声部に対して、別の音を絡ませたり結びつけたりして編曲をする技術のことです。

この対位法は、中世音楽のオルガヌムで原型ができていたのですが、ルネサンス期に入るとさらなる発達をみせます。そしてルネサンス中~後期には、ジョスカンやパレストリーナらが模範となる対位法作品を多数残しました。

ルネサンス期の対位法は主に歌によるものですが、後のバロック期になると、楽器を駆使した対位法も発達してきます。

ルネサンス前期の主な作曲家

  • ダンスタブル(1390~1453)イギリス
  • ギョーム・デュファイ(1400頃-1474)ブルゴーニュ楽派
  • ジル・バンショア(1400頃〜1460)ブルゴーニュ楽派
  • アントワーヌ・ビュノワ(1430~1492)ブルゴーニュ楽派

中期のルネサンス音楽(1470~1520年頃)

フランドル楽派の活躍

ブルゴーニュ楽派が育てた音楽を引き継ぎ、さらに発展させたのがフランドル楽派です。フランドル楽派の様式は、北部フランスだけでなく、ヨーロッパ全土を席巻するほどの勢いとなり、その後のクラシックの普遍的な様式と進化していくこととなります。

この頃になると、ジョズカン・デ・プレをはじめとする巨匠により、通模倣様式や循環ミサ曲が1つの完成にまでたどり着くことになりました。「調和」や「優美」や「静けさ」といったルネサンス芸術の頂点と言ってもよいでしょう。

新しい様式の確立

通模倣様式

ジョスカンは、それまで底部に置かれていた定旋律をメインの旋律に持ってきました。まずソロで歌い始め、その後で定旋律をアレンジしながら埋め込まれる。そして、その後に第2パートが同じ旋律をたどり、また次に第3パートが追いかけるという手法で、これが重なり美しい響きが生まれます。

一種の輪唱のような形態で、この様式はヨーロッパ中に広まりました。

ルネサンス中期の主な作曲家

後期のルネサンス音楽(1520~1600年頃)

大航海時代の幕開け、激動の16世紀

16世紀に入ると、ルネサンス音楽時代も後半に入ります。宗教改革をはじめ、ヨーロッパは大激動の時代になります。

ガリレイが地動説を立証すると、世の中は大航海時代へと突入し、西洋世界は巨大な富や大海原へのロマンを求めて全世界へと目が向けられるようになります。

当時、未知の大陸が見つかるかもしれない海に出ることは、さぞかし血が騒いだに違いがありません。

現代で例えると、ワープ航法が編み出されて簡単に火星まで旅行ができる、、、もしくは、生死が科学的に解明されて誰もが死後の世界に行ける、、、当時にはそれほどの衝撃があったのかもしれませんね。

そのスケール感を背景に社会は、ドラマティックなもの、暴力的な表現、実力の誇示などへの嗜好が急激に強くなっていきます。

そういった感情は、芸術にも大きな影響を与えました。静けさと美を求めた中期までとは打って変わって、躍動感や迫真感を感じられる作品が多く作られるようになりました。レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロを比べたらわかりやすいですね。

これは音楽にも当てはまり、後期のルネサンス音楽は徐々に「調和」と「美」の世界を否定し、そこからの離脱を求めたがる傾向が生まれます。

ヴェネツィア楽派、ローマ楽派の活躍

この頃から音楽の中心はフランスからイタリアに移ってきます。

ヴェネツィア楽派は、サン・マルコ教会の優秀な音響効果を利用し、2台のオルガンと2組の合唱が互いにエコーで呼び交わしていくような形式を生み出しました。

これは、後の協奏曲の原型となり、ヴェネツィア楽派の代名詞的な手法となりました。

ルネサンス音楽を否定!新時代の扉を開く動きが活発化する

16世紀後半になると、ルネサンス音楽最大の特徴であるポリフォニー音楽に大きな転換期がやってきます。

「和音」を重視するフランドルスタイル(ポリフォニー)から、「旋律」を重視するフィレンツェスタイル(ホモフォニー)に大きく傾倒してきます。

このことがルネサンス音楽の特徴から脱却し、新しい時代の扉を開こうとする動きが生まれます。

トレント公会議(1545-1563)での取り決め

典礼で使われるミサ曲でも、ポリフォニーが複雑化しすぎたため、だんだんとラテン語歌詞が聞き取りづらくなっていきました。

作曲家による芸術音楽への情熱により、多声部による「美しい」響きや「音楽的調和」を重視するあまり、歌詞による「言葉」での音楽表現があまりにも軽視されてしまったのです。

こうしたことに危機感を感じた教会は、トリエント公会議で過剰なポリフォニー音楽を禁止することとなりました。教会からメスが入ったのです。

マドリガーレの発達

15世紀あたりから、イタリア半島でフロットーラという音楽スタイルが流行します。すべての声部が均等な力関係のポリフォニー音楽と違い、最上部の声部を主役の旋律とする手法が特徴です。後述のモノディ形式の先駆け的位置づけです。

このフロットーラが進化し、マルガドーレというスタイルが現れます。これは、文学的な歌詞に、メロディを主体とする音楽を結びつけ、音楽と言葉が密接につながることができました。

これは、明らかにルネサンス音楽とは違うアプローチの音楽で、このスタイルが次の時代の主流となっていきます。

カラメータの発足と、新しい試み

1580年頃、フィレンツェの音楽人や知識人が集まり発足した音楽サークル「カラメータ」も、当時のポリフォニー音楽に強い否定をします。

声部が複雑化するポリフォニー音楽では、それぞれのパートによる歌詞での音楽的世界観の表現が難しいということを主張しました。

「もっと歌詞を聞かせたい!」「もっと言葉による音楽的表現をしたい!」ということですね。

そこで、古代ギリシアの情熱的、喜劇的な表現の復興を目指し、簡単な楽器による伴奏の上に、主役であるメロディがのり歌を歌う形式が生み出さることとなりました(モノディ様式)。

この形式は、主役の旋律が存在しないポリフォニーと違って、主役であるメロディがはっきりとしています。

これは、音楽で感情や情熱を表現する手法として、圧倒的に効果がありました。主役のメロディが歌詞をのせて感情を表現した歌を歌うというのは、今で言うとごく普通の表現方法ですね。約400年前に生まれることとなりました。

この新しい形式は、ホモフォニー音楽と呼ばれます。

この形式を使って、音楽劇「ダフネ」という作品が生まれたのですが、これが「オペラ」の原型となりました。音楽で「感情」や「物語」を表現するには、このモノディ様式が最適だったのです。

モンテヴェルディの試み

こうしてフィレンツェで生まれたモノディ様式は、イタリア中に急速に広がることとなりました。その中で、モンテヴェルディがこの様式をさらに進化させます。

劇的な、感情的な音楽表現が可能となった音楽の可能性を重視し、「歌詞の内容をよりドラマティックに表現できるのなら、どんな不協和音であったり、型破りな手法でも利用してかまわない」としたのです。

ルネサンス音楽と間逆ですね笑

そしてモンテヴェルディは、その当時使われていなかった不協和音や半音階などをためらうことなく使用して作曲をつづけました。その楽曲の響きは、もし歌詞の内容がわからなくても、「楽しい」音楽なのか、「悲しい」音楽なのか、「ユーモラス」な音楽なのかがわかるほどサウンドが明確になりました。

それは、当時あまりにも独特の響きを持っていたので、保守派の音楽家たちと大論争が起きることとなりました。

(※ここで不協和音しして書いていますが、”16世紀当時に”不協和音として聞こえた音楽です。現代ではそこまで不協には聞こえないです。現代で言う不協和音の音楽ができるのは、もう何百年も後の世界になります)

新しい様式

モノディ様式

先述になりますが、ルネサンス後期、フィレンツェのカラメータで生まれた新しい様式です。

主役となる声部が存在する、ホモフォニー音楽のスタイルですね。

ここでは、3種類に分類される音楽の様式を説明しておきます。

モノフォニー

1つの声部のみの音楽のことをさします。例えば、歌に楽器が入ってきても、同じ旋律であればモノフォニーとなります。

西洋音楽では、ポリフォニー音楽との対義語になります。初期のグレゴリオ聖歌はこれにあたります。

ポリフォニー

複数の声部からなる楽曲のことをさします。それぞれのパートは、それぞれが対等の立場になっているため、どの声部が主役であるかが不明瞭というか、基本的に主役は不在です。和声に重点を置いた音楽です。

それぞれのパートが独立した動きを持って、同時に複数の声部を演奏、合唱したときに1つの楽曲となります。

西洋音楽では、ホモフォニー音楽との対義語になります。

ホモフォニー

ポリフォニーとは違い、主役の声部がある音楽のことで、主役以外の他のパートは伴奏となります。

和声よりも、メロディの流れに重点を置いた音楽で、「旋律」と「和声」のすみわけが明確になっています。

ルネサンス後期の主な作曲家

  • ジョヴァンニ・ガブリエリ
  • ラッソ(フランドル楽派)
  • パレストリーナ(ローマ楽派)対位法の第一人者
  • モラーレス
  • ゲレーロ
  • ビクトリア(スペイン)
  • ロボ(ポルトガル)
  • タリス、バード(イギリス)
  • ヴィラールト、デローレ(ヴェネツィア楽派)
  • ヴェルト
  • マレンツィオ
  • ジェズアルド
  • モンテヴェルディ

 まとめ

このようにしてルネサンス後期には、ポリフォニーを捨て、ホモフォニー形式が主流となっていきます。

「メロディ重視の音楽」の風潮と、歌詞との結びつきが強い「物語への表現する音楽」への傾向が急激に高まることとなりました。

この新しく生まれた「メロディ重視の音楽」と「物語への表現する音楽」は、次のバロック時代でオペラへと進化する原動力となります。

こうして、時代はバロックへとつながってゆきます。

ルネサンス音楽の特徴、中世音楽との相違点

教会が支配する音楽から、個人が台頭してくる時代に突入したルネサンス音楽は、中世音楽と比べどんな違いがあるのでしょうか?

音楽史的には、学校の音楽の授業ではまったく触れられないところなので、違いがわかる人はほとんどいません。

ここで中世音楽とルネサンス音楽の特徴の違いをまとめておきましょう。

作曲家の誕生

ルネサンス時代に、作曲をしている人が「作曲家」となってゆきます。

中世音楽時代には、自分のつくった作品に、他人とは違う自分固有の作品であるという意味で、名前を署名するという動きはほとんどありませんでした。

確認できているのは、マショーただ一人くらいだと思います。

それが、ルネサンス時代になってくると、この署名をすることが当たり前になってきます。芸術的な要素が強くなってきたので、他の人の作品とは違う、他の作品と同じにされたくないという自我が芽生えてきたといえます。

これにより、「作曲家」と言われる人たちが誕生します。

この作曲家の誕生により、作品が誰のものか識別されることとなり、作曲家ごとに評価も変わってくることとなります。

評価の高い作曲家にはどんどん依頼が殺到し、いわゆる「人気作曲家」も誕生しました。

今と同じ人気作家に依頼が集中する流れは、このあたりから出来上がっていたのですね。

楽譜の進化

ポリフォニー音楽の発展により、楽譜も大きく進化します。

そして、特筆すべき点は、印刷技術が発達したことにより、楽譜が広く広がりやすくなったことです。音楽理論書なども出版されることとなりました。

ルネサンス音楽時代の楽器

ルネサンス音楽は、声楽主体だったので、器楽はあまり盛んではありませんでした。盛んではなかったとはいえ、演奏もたくさんされています。

声楽曲でも、歌詞はかかれてあっても楽器のみで演奏されることもありましたし、いろいろなアレンジや楽しみ方が当時にはあったようです。

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