クラシックの名曲が、”クラシック音楽”として化石化してはならない

みなさん、クラシック音楽は好きですか?

クラシック音楽は、200年も300年も経っても色あせることなく愛されているように、現代になってもこれを超える楽曲がほとんどないほど、音楽としての高い完成度を誇ります。

誰もが知っているような現代の著名な作曲家ですら、クラシックの名曲を必死で研究して今の地位を築いています。

それほどクラシックは、現代の音楽の礎となってきているスゴイものなのです。

西洋音楽史の偉人たちは、もはや”神”ですね。

それゆえ一度クラシックの魅力に取り付かれると、無数にある名曲は、あなたの人生観・音楽観を180度変えてくれるほど大きな影響を与えてくれることでしょう。

また、同じ楽曲でもそれを演奏しているたくさんの人や団体によって微妙な違いがあるので、本当にいろんなことを勉強させてくれます。

ですが、、、

20代の男女1000人に取ったこのアンケート結果を見てください。

Q:クラシック音楽は好きですか?

  • 10% 大好き!
  • 39% 別に嫌いではない
  • 51% 興味なし

クラシックが大好きな人は、わずか10%程度でした。

興味が無い人は半数以上にものぼり、これほどまでにクラシック音楽に共感してくれない人が多いのは悲しいことですね、、、

興味が無いと答えた人は、クラシックの凄さがわからないだけでなく、そのすごさをわかろうともしないことに問題があります。

自分の生徒でも、ボカロとか歌い手とかのアマチュアの音楽ばかり聴いていて、クラシックよりも音楽的に完成度が高いと勘違いしている人もいるくらいです。

正直なところ、若い人が聴いている音楽はアマチュア程度のとてもクオリティの低いものが多く、こんなのを聴いてたら音感が悪くなるよ、、、って思ってしまいます。

こうなってしまった原因として、クラシック音楽は、単に”クラシック音楽”という特殊なジャンルとして認識してしまっている人が多いからだと思っています。

例えばバッハの「G線上のアリア」などは、この曲を授業で流すと、「卒業式で流れた曲」とか「イベントでよく聴く曲」という答えが返ってきます。

この楽曲は、ハーモニックマイナーを駆使したとてつもない高度なメロディメイキングが行われているのですが、学生にはこのすばらしさは伝わりません。

おそらく、「G線上のアリア」は”名曲”として認識されるのではなく、ただ単に”クラシックの曲”として認識されるだけで、現代につくられた流行的な楽曲と同系列として見れないのです。

つまり、クラシックはもう生きた音楽ではなく、大昔に作られた色あせた”化石”に近い存在になっているのです。

あまりにまとまりのあるサウンド構成が、逆に仇となっているのでしょう。

なので、名曲「G線上のアリア」が流れても、「あぁ、クラシック音楽ね」という認識で、それ以上でもそれ以下でもない、右から左へ流れてしまう音楽となってしまいます。

「G線上のアリア」に興味を持てない人は、「きっとモノ好きな人が好んで聴いている」と思っているのかもしれませんね。

確かにクラシックは、それは200年以上も前に作られているので、現代の電子機器を駆使したヒット曲などに比べれば、それは刺激が少ないものに感じるかもしれません。(もちろんクラシック音楽が作られた数100年前の当時は、刺激的かつ衝撃的なものでしたよ!)

しかもクラシックには著作権が無いので、TV番組やイベントで、モーツァルトの「怒りの日」や、ベートーベンの「エリーゼのために」、チャイコフスキーの「白鳥の湖」といった楽曲が頻用され、この楽曲を聴いただけでもう「はいはい、クラシックね」と化石化の流れが進んでしまいました。

一番残念な例が、バッハの超名曲「トッカータとフーガ ニ短調」ですね。

バラエティでコミカルなシーンで乱用・誤用されてしまい、もう名曲というイメージはほとんどありません。

嘉門達夫の「鼻から牛乳」といったネタ曲などで、完全にダメ押しされてしまいました。

ですが、実際のクラシック音楽とは、和音構成やメロディの作り方、ハーモニーの中での楽器の動きなどは、現在ヒットしている楽曲とはまったく比較にならないほどすばらしいです。

歴史的巨匠が何ヶ月、、、いや、何年、もしくは、人生をかけて作り上げた交響曲は、現代の数日で仕上げないといけない商業音楽の作曲スタイルでは、到底太刀打ちでません。

一度でもクラシックを勉強をした人ならわかってもらえると思いますが、クラシックを勉強することは、作曲、特に編曲において最高の勉強になってくれます。

バッハの低音、モーツァルトの調の感覚、ベートーベンの標題性、ブラームスの編曲、、、これほど、カンペキと言っても良い教科書はありません。

でも、先述のようにクラシックが化石化してしまっている学生は、クラシックを聞いても何も感じないので、勉強になることが山ほど隠されていることにすら気づかないのです。

ここで少し考えてみてください。

もし、博物館に飾られているような大きな恐竜の化石が、現代の世に突然よみがえって当時の姿で動き出したら、、、それは、あなたにとってとんでもない衝撃だとは思いませんか?

クラシック音楽もそれと同じなんです!

もし、化石化してしまったクラシック音楽が、現代における音楽と同系列に感じるほどに現代的にみずみずしく感じることができれば、どれほど音楽の幅が広がることでしょう。

クラシックに興味が無かった人たちに、相当な衝撃を与えてくれるはずです。

クラシック音楽の化石化を打破するには、方法はひとつだけです。

どの曲でもかまいません。

できれば楽譜がある曲で、その楽曲を完全に耳コピしてみてください。

そうすれば、音の重なり具合や、各パートがどのうな意図で並べられて掛け合いがされているかが手に取るようにわかります。

そう感じることができれば、自分の中で化石化してしまっていたクラシック音楽が、今までとまったく表情を変えて聴くことができるようになります。

「今まで、こんなすばらしい楽曲を聞き流していたのか、、、」と。

どんどん聴きたくなる曲が増えるので、今まで自分は何をやってたのだろうと後悔さえする人も多いです。

つまり、化石化がなくなれば、クラシックが突然、みずみずしい生きた音楽としてあなたの感性に入り込み、音楽人生をまるっきり変えてくれます。

ほんの1曲だけ、本気でコピーするだけでいいのです。

私も、20代の若い頃、ブラームスの「ピアノ協奏曲 2番」をコピーして、この化石化がなくなりました。

それ以来、私はたくさんの教科書を手に入れることができました。

現代の曲なら、ジョン・ウィリアムズの「ジュラシックパーク」とかでも良いかもしれません。

みなさんの人生に、このみずみずしい音楽が時代を超えてまた流れ始めることを、心から願っています。