目次
時代背景
1800年代末から1900年代初頭にかけて生まれた、新しい音楽の潮流を「印象派音楽」の時代と呼びます。
この時代は、まさに1800年代の世紀末であり、世紀転換期であったので世の中が騒がしくなっていました。
世界はじめての映画がつくられ、電話も徐々に普及し、エッフェル塔が建てられ、超豪華客船タイタニック号が建造されるという、近代化が急激に進む時代でした。
そして、動力源もそれまでの石炭や蒸気から、石油や電気へと変わっていき、飛行機や自動車が誕生しました。
これらは産業の構造を大きく揺るがし、軽工業から重工業中心へと変わってゆきました。
これを第二次産業革命といい、産業革命が生まれたイギリスだけでなく、アメリカやドイツが世界の産業の中枢に進出してゆきます。
また、この産業の発展により、資本主義社会は新しい側面を見せ始めます。
強いものが勝ち、弱いものは負けてゆくこの資本社会では、強い企業が弱い企業を吸収し、さらに強くなってゆきます。
この頃の資本主義は、その様相がさらに顕著になります。
強い企業が全ての企業を吸収してしまえば、完全な独占状態となり、市場を牛耳ることができるようになります。
市場を手に入れれば、簡単に莫大な利益を得ることができるようになってしまいますね(独占資本主義)。
そうなった大企業には、ありあまるほど過剰に資本が集まります。そうすると余剰資本があふれだし、国家としての経済成長は止まってしまいます。
それを国家が阻止し、継続的な発展を目指そうと経済に介入してくるので、必然的にその独占した資本は国家と強い結びつきを強めて発言権を強めてゆきます(国家独占主義)。
その資本の投資先として、海外の発展途上国に目が向けられ、イギリス・フランスを筆頭として、ロシア・アメリカ・ドイツ・日本といった列強国はこぞって植民地化を目指してゆきます。
こうして、自国の利益のために侵略を置こうなう帝国主義が生まれてゆき、地球上の半分が数国で支配されることとなりました。
そういった時代背景の中、最優先にされるものはもちろん国家の利益となり、個人の利益や感情は強く抑えこまれてしまいます。
自らの感情や主観を前面に押し出すことにより新しい時代を作ろうとしたロマン主義は、この頃にはすでに古い考えとなってゆきました。
帝国主義は、第一次世界大戦が始まる1914年まで続き、印象派の時代も同じくそこで終焉を迎えます。
印象主義音楽の、誕生と特徴
印象主義音楽の時代は、1883年のワーグナーの死後から、1914年第一次世界大戦までのわずか30年程の短い期間です。
ですがこの時代に、マーラー、シュトラウス、プッチーニ、ドビュッシー、ラヴェル、サティ、ラフマニノフといった巨匠の名前がずらりと顔をそろえます。
西洋音楽史としてのほぼ完成を迎えた時期、、、といっても過言ではありません。
印象主義音楽の誕生
フランスで国民音楽協会の設立
古典派以降は、ドイツが西洋音楽の中心となり、ドイツ以外の国は音楽発展途上の国となってしまいました。
もちろんフランスもベルリオーズを例外として、フランスから著名な作曲家はほとんど出てきてません。
そういった状況の打破を目指し、普仏戦争での敗戦をきっかけに、「ドイツに負けない器楽文化を」との思いから、サンサーンスやフランクらが中心となって1871年に国民音楽教会を設立します。
フランス国籍である人のみで構成されたこの団体は、一定の成果を挙げ、交響詩「死の舞踏」(1874、サン=サーンス),「動物の謝肉祭」(1886、サン=サーンス)といった名曲が生まれました。
そしてその後、同じフランス人であるドビュッシーの登場により印象派へと続いてゆきます。
ロマン派音楽への反発
ロマン派までの西洋音楽史は、より壮大に、より大きく、より新しさを突き詰めていくという音楽の歴史でした。
ですが、いくら天才が多く現れたからといって、人間の表現できるものとして、青天井的に壮大に新しいものは生み続けることは難しくなってきます。
ロマン派も後期になっていくると、ついにこの音楽路線に限界が見えてきました。
長きにわたり機能和声やメジャーとマイナーをオーケストラ等で大規模に表現することを目指してきた西洋音楽の歴史ですが、この手法でできるジャンルや音楽表現はもう使い尽くされてしまったと、多くの作曲家が思い始めます。
「ドレミ、、、」といった音階を使った音楽への行き詰まり感ですね。
なのでこの時代、調整やリズムを破壊して新しいものを生み出す流れや、自国周辺からではなく、世界各国から新しい民族の音楽を取り入れようとエキゾチズムを取り入れて新しいものを生み出そうとする流れが生まれてきます。
また、ロマン派音楽の核心である主観的で激しい感情を前面に押し出した物語性のある音楽表現を完全否定し、ものごとの微妙な雰囲気や外的な要因を「客観的」に描こうとしました。
これらの流れが印象主義音楽のはじまりとなります。
印象主義音楽の特徴
このように西洋音楽に限界を感じている中、その西洋音楽を基盤から崩していくことにより新しい3つの手法が誕生していきます。
まさに、ロマン派音楽へのアンチテーゼですね。
①調整、リズムの崩壊
ものごとをより「客観的」にとらえ「雰囲気」を描く音楽の手法として、あいまいなメジャーとマイナー感、非機能和声、全音音階、不協和音、といった音使いが積極的に使われました。
超の束縛から逃れるために、12音あるすべての音を均等に考える「十二音技法」、そしてリズムも微細化してよりあいまいなものへとなりました。
その結果、音楽的に重要とされてきた発展性や終止感も放棄することとなりました。
②古代の音楽様式
バロック~ロマン派時代生まれた、ソナタ形式や交響曲、弦楽四重奏といったさまざまな理にかなった音楽形式を否定し、簡潔で明快な構成を目指します。
中世音楽やルネサンス音楽時代の音楽様式に大きな影響を受けています。
③エキゾチズムの導入
大航海時代以降、航海技術の向上や運河の建設などで、どんどん世界は小さくなってゆきました。そして、世界各国の民族音楽も少しずつ身近なものとなり、西洋音楽にはありえなかった楽器や音遣いのエッセンスを積極的に取り入れはじめます。
そして、サンサーンスの「ナイジェリア組曲」「アフリカ幻想曲」「エジプト」、ビゼーの「カルメン」、シャブリエの「スペイン協奏曲」といった新しい音楽がたくさん生まれました。
西洋音楽史に、エスニック色が色濃く取り入れられはじめます。
西洋音楽史の終焉の始まり
印象主義音楽時代も、1000年も続いた西洋音楽の歴史に、その終焉をもたらす大事件が起きます。
終焉というとピンと来ないかも知れませんが、現在の”クラシックコンサート”で演奏される楽曲は、どんな新しい作品でも約70~80年前ですよね。
この約70~80年前に、西洋音楽史の終焉が訪れました。
この印象主義音楽の時代から、徐々に西洋音楽史の歴史が終焉に向かっていきます。
これには、内的要因と外的要因が複雑に絡んでゆきました。
内的要因
印象派の特徴である反ロマン派の動きはさらにすすみ、シェーンベルクが「十二音技法」によって調性を破壊させ、また、シュトラヴィンスキーは「春の祭典」でリズムの法則を崩壊させることとなりました。
西洋音楽をかたちづくってきた要因を、意図的に崩してゆき、また新しい音楽のエッセンスを西洋以外の地域から取り入れようとします。
こうして、長きにわたり発展してきた西洋音楽史の大きな流れは、一旦その発展をとどめることとなります。
外的要因
初期の西洋音楽を支えてきた教会や王朝は、このころにはすでに音楽界から姿を消し、市民(ブルジョワ階級)が新しい音楽振興の担い手となったと説明してきました。
このブルジョワ階級が中心となって以降、20世紀前後になると列強の帝国主義が進みます。
そして、帝国主義同士の紳士協定があり戦争は回避されそう、、、と思いきや、オーストリア=ハンガリーの帝位継承者の暗殺がきっかけとなり、第一次世界大戦が勃発してしまいます。
この第一次世界大戦は、古典派~ロマン派時代を支えたブルジョワ階級を崩壊させ、文化基盤を根底から破壊してしまいました。
第一次世界大戦の衝撃も大きかったのですが、徐々に衰退していく西洋音楽史に大きなとどめを指す事件が起こります。
それが第二次世界大戦です。
これにより、壮大な歴史をたどった西洋音楽史は、一旦の幕を閉じることになります。
20世紀前半の印象主義時代の終わりから、20世紀中盤の第二次世界大戦までが、次の章で説明する「近代音楽」となります。
印象主義音楽時代の名曲
名曲は色あせない
ドビュッシーをはじめ、ラヴェルなどたくさんの名曲が生まれました。
誰もが知っている曲から、ぜひオススメしたい楽曲までまとめてみました。
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後期ロマン派と、それ以降の音楽
ロマン派も後期になると、印象主義音楽だけでなく、新ウィーン楽派、新ロマン主義音楽、新古典主義音楽、国民楽派、原始主義、象徴主義とたくさんの流派が登場します。
ここは改めて詳しく説明することとします。
その他の主な、クラシックの時代を知ろう!
クラシック全体を見ることができるようになると、クラシック音楽の理解は10倍にも20倍にもなります。もし良かったら、合わせて他の時代も知ってみてくださいね!