クラシックっていうと、、、壮大で幅が広く、世界の隅々にまで影響を与えた偉大な音楽、、、というと言いすぎですが、それに近いイメージを持っている人は多いのではないでしょうか?
少なくとも、その大きなスケール感は疑うことはないでしょう。
では一体、クラシックって何なのでしょうか?
クラシックはどの地域の音楽?
クラシック発祥の地といわれると、まずヨーロッパ地域を思い浮かべることができると思います。
その中でも、バッハやベートーヴェンの生まれたドイツ、モーツァルトが活躍したオーストラリア(ウィーン)のイメージが強いのではないでしょうか。
それは見事に当たっています。
その前の時代でいうと、もう少し西に寄っていて、フランスが中心でした。中世西洋音楽の時代は、パリのノートルダム大聖堂で音楽は飛躍的な発展を遂げました。
なので、フランス~オーストリアを中心としたヨーロッパ地域であることは間違いありません。その地域で生まれ育った人たちが、進化させてきた音楽です。
なので、、、クラシック音楽とはヨーロッパ地域、ラテン語圏の「民族音楽」ってことなのです。
民族音楽というと、インドの「ガムラン」、ブラジルの「サンバ」、日本の「雅楽」といった土着のイメージが強いですが、クラシックもヨーロッパ圏土着の音楽なのです。
ヨーロッパの風土の中から、個性的な楽器が生まれ、音楽が進化してきました。
ただヨーロッパ地域は、他の地域と違って、音楽がお金や権力争いに使われた要素が強いです。教会や王が権力を誇示するために大金を使って音楽を育てました。
なので純粋にその地域に根付いた音楽とは若干言いにくいところはありますが、ヨーロッパの文化や歴史に深く根付いた音楽であることは間違いありません。
あまりにもレベルが高い音楽なので、現代社会ではスタンダードになっていますが、基本的な考え方は、ヨーロッパ地域の民族音楽なのです。
クラシックは、誰のための音楽だったの?
音楽が存在した証。それは譜面があるということ
譜面が残っているということの最大のメリットは、その音楽を再現できるということです。
その再現できる音楽をさかのぼっていけば、音楽がどのように発展していったかが理解できるようになります。
ロマン派、古典派、バロックとさかのぼっていけば、バッハという巨匠に突き当たり、さらにルネサンス音楽、中世音楽へとさかのぼり、音楽の進化が手に取るようにわかります。
このように、クラシックにおいて譜面というものはその音楽が存在した証であり、絶対的な条件となります。
現存する最古の楽譜は、、、グレゴリオ聖歌ですね。
クラシックの歴史はなぜグレゴリオ聖歌が起源となっているかというと、グレゴリオ聖歌が「単旋律、無伴奏」と音楽の原点のような構造だったからではなく(もちろんそれも理由でもある)、再現できる記録された音楽の一番最初だったからです。
なので、グレゴリオ聖歌がクラシックの原点であるのは「単旋律、無伴奏」であるのは間違いです。「単旋律、無伴奏」ならグレゴリオ聖歌以前にもやまほどあったはずです。
譜面を扱うことができた人
この譜面に記録された音楽が、クラシックの特徴であると考えると、いささか大きな疑問がわいてきます。
当時、記録に残されたものはもちろん「紙」です。そして、紙には音符をはじめとする「音楽記号」や「文字」を書かなければなりません。
500~1500年前の世界、日本で言うと平安の世の中、一般の人は「文字」なんて書けたのでしょうか?15~16世紀ごろで20%以下くらいだったそうです。
そして、「紙」というものは当時、とんでもない高級品で、とても一般の人が手に入るものではありませんでした。
ということは、
- 文字が書ける=超エリート
- 紙が手に入る=超金持ち
ということなんです。
クラシックは、今の世の中のように一般市民でも手軽にできる音楽ではなく、ほんの一部のごくわずかな選ばれた人たちのによって作り上げあられたものだったのです。
1000年前、強大な権力を誇った教会であったり、500年前に贅沢を極めた王朝であったり、そのごく一部の音楽だったのですね。
そう考えると、現代においてもクラシック音楽ができる人はおぼっちゃまであったり、お嬢様であるイメージはすごく納得できますね笑
とすれば、それ以外の音楽ってどんなのだったのでしょうか?
教会でもなく、王朝でもない世俗の音楽で、名曲は生まれてなかったのでしょうか?
その答えは、、、わかりません。
なぜなら、記録がないからです。
もし、あなたがとんでもない名曲を、今生みだしたとしましょう。
そして、明日不慮の事故で亡くなってしまったとします。
もちろん、録音もしていなければ譜面にも残していません。残っているのは、あなたの「記憶」のみです。
その場合、、、その曲は、残念ながら誰も知ることができません。
辛い言い方をすれば、その名曲が生まれなかったのと同じです。
ひょっとしたら、そのようにヨーロッパの世俗の音楽でもとんでもなくすばらしい音楽はできていたかもしれません。
もしくは、クラシックの世界でも、記録を残したにもかかわらず家事などで焼けたり、紛失してしまったものもあったでしょう。
そうやって、世間の評価を得ることもなく、消えていった名曲はたくさんあるでしょう。
なので、「記録に残らない音楽」は「存在していなかった音楽」と同義になってしまうのです。
そう考えると、クラシックの音楽は、数ある音楽のほんの一部の記録されたものという限定された音楽に感じます。
なのでクラシックとは、「ヨーロッパ地域の一部で急速に発展した民族音楽」で「ほんの一握りの、たまたま記録された音楽」ということになります。
壮大なクラシックの世界ですが、そう考えると意外に一部だけということがわかります。
なぜ譜面が西洋音楽で発展したのか?
現代の五線譜が出来上がったのは、もちろん西洋音楽史の歴史の中からです。ネウマ譜からはじまり、1000年以上かけて発達してきました。
実はこのような譜面が急激に発達した地域は、クラシックのヨーロッパ地域だけなんです。世界のたくさんの地域で民族音楽が発展しましたが、ここまで譜面が進化した地域はありません。
なぜ、西洋音楽だけでこれだけ譜面が発達したかというと、「多声音楽」が発達したからです。
多声音楽は、横のメロディラインだけでなく、縦のハーモニー部分も記録できて初めて意味を成します。多声音楽は、縦のライン、つまるところタイミングがわからないと人とあわせて演奏したり合奏したりすることはとても不可能です。
こうした理由から、譜面が進化せざるをえなくなり、記録できるように譜面の記譜方法が進化したことにより、さらにまた多声音楽の発達することとなりました。そして、さらにその複雑な多声音楽の発展が、また譜面を進化させ、共に刺激しあい進化していったと言ってよいでしょう。
単一であったグレゴリオ聖歌に殻始まり、中世オルガヌム、モテート等、これらの音楽的進化が譜面の進化も支えたのですね。
なので西洋音楽史において、譜面の進化は必然であったわけですね。
まとめ
ほんの一部の人だけが関わることができた音楽なのに、これだけ世界に影響を与えているクラシック。
もし、すべての音楽が記録されていたら、今の音楽はもっともっと発展していたでしょう。
音楽とは、記録されたもの、もしくは人の記憶がつないでいった産物です。
そう考えると、できるだけたくさんの音楽を聞いて引き出しを増やすことが、よりよい作曲をする近道だと思いますよね。
僕がクラシックをたくさん聞きたくなった理由は、こういったところからです。
昔は嫌いだったクラシックが、今は大好きです。
みなさんにも、このクラシックを聴く喜びが伝わったら幸いです。