
人には多かれ少なかれ、自尊心というものがあります。
「自尊心が強い人」と聞いて、友人や職場の顔が何人か思い浮かんだ方もいるのではないでしょうか。
ただ、この言葉にいいイメージを持っている人は、あまり多くないと思います。
ところが、自尊心があまりに低ければ、失敗から立ち直ったり、自信を持って行動したりすることが難しくなります。
夢を追いかけて生きていくうえで大切なのに、大きすぎると自分の首を絞めてしまう、なんともやっかいなシロモノなんですね。
少なくとも私が音楽の世界で出会ってきた人たちには、自分の表現や能力に強いこだわりを持つ人が少なくありませんでした。
だからこそ、全力で音楽家を目指せるのだとも思います。
かく言う私も、この自尊心のせいでたくさんの失敗をしてきました。
つい意地を張って後悔した経験は、きっと誰にでもあるはずです。
今日は心理学の研究も手がかりにしながら、自尊心との付き合い方をじっくり考えてみたいと思います。
自尊心とは?「自分を尊ぶ心」の正体
自尊心とは、字のとおり「自分を尊ぶ心」のことです。
自分を肯定し、自分に価値を見出す感情のことで、つまるところ自分が生きてきた証を自分自身で評価してあげることだと私は考えています。
ポイントは、その評価をするのが他人ではなく「自分自身」だという点です。
自分では「最大限がんばった人生」だと思っていても、周りからは「誰でもできる、もっとがんばるべき人生」と見られていたら、ただの空回りになってしまいますよね。
自分の評価と他人の評価、このバランスをとるのが本当に難しいんです。
心理学では「人づきあいのメーター」とも考えられている
このバランスの難しさを考えるうえで、心理学におもしろい考え方があります。
アメリカの心理学者マーク・リアリーらが1995年に発表した「ソシオメーター理論」です。
ソシオメーターとは「社会のメーター」という意味です。
自尊心は、周りの人からどれだけ受け入れられているかを知らせる計器のようなものだ、という考え方なんです。
この理論に立つと、人が他人からの評価をつい欲しがってしまうのは、ごく自然なことになります。
仲間から外されていないかどうかを、心の中の針がいつも見張っているわけですから。
自尊心は「達成感の自給自足」
とはいえ、人から褒めてもらえる機会はそう多くありません。
褒められれば「明日もがんばろう!」「まだまだやれる!」と力がわいてくるのに、そのチャンスはなかなか来ないものですよね。
そんなとき、人から褒められなくても「自分には価値がある」と思わせてくれる土台になるのが自尊心です。
日常では「プライド」と近い意味で使われることもありますが、心理学ではまったく同じものではありません。
言ってみれば、達成感の自給自足なんです。
誰にも評価されない下積みの時期でも、困難な仕事に向かうモチベーションを保ち続けられるのは、この自給自足のおかげだと私は思っています。
実際、研究でも自尊心の高さがプラスに働くことがわかってきました。
心理学者のウルリッヒ・オルトとリチャード・ロビンスが2022年に発表した論文では、自尊心が高い人ほど、その後の仕事の満足度や成功、人間関係の質が良い傾向にあると報告されています。
効果の大きさはどれも控えめですが、夢を追うための燃料として自尊心が役立つことは、データの上でも裏づけられているわけです。
自尊心が強い人が嫌われる理由
これほど大切な感情なのに、大きすぎると人から疎まれてしまうのが自尊心の怖いところです。
問題になるのは「自己評価>他人評価」、つまり自分の評価が周りの評価を上回ってしまった状態なんです。
なぜ「自己評価」が暴走してしまうのか
ではなぜ、そんな逆転が起きるのでしょうか。
問題になるのは、自尊心そのものが高いことではありません。
自分の価値を守りたい気持ちが強くなりすぎて、実際の実力以上に自分を大きく評価し始めたときです。
そうなると、自尊心という名の工場が必要以上にフル稼働して、「本当はもっと評価されるべきだ」という気持ちを作り出してしまうことがあります。
その結果、現実の評価と自己評価の差が少しずつ広がっていくわけです。
そうなると周りの人を自分と比べて優劣をつけ始め、「お前より俺のほうができるのに、なんで」「あいつは今回うまくいったけど、実力は俺のほうが上」と考えてしまうわけです。
本人の自己評価と、周りの評価はずれている
この「自分は周りより上」という感覚がどれほど当てにならないかは、研究でもはっきり示されています。
心理学者ロイ・バウマイスターらは2003年にレビュー(それまでの研究をまとめて検討した論文)を発表しました。
それによると、自尊心の高い人は自分を「人に好かれている」と考えがちなのに、仲間による評価ではそれが裏づけられないことが多いそうです。
自分では人気者のつもりでも周りはそう見ていないというのは、考えてみればなかなか背筋が寒くなる話です。
もしその自己評価が「自分は周りより上だ」という優越感として外に漏れれば、周りの人は「格下扱いされている」と感じます。
そうなると、やがて「自尊心の強い面倒な人」というレッテルが貼られてしまうんですね。
だからこそ、自分の中だけで動いているべき「達成感生成工場」を、人に見せてはいけないんですね。
少なくとも私の経験では、ある程度は周りからいじられるくらいの隙があったほうが、上司や先輩ともずっと関係を築きやすかったように思います。
とんでもなくすごい人が、驚くほど腰が低い理由
ところが、とんでもない実績を残した本当にすごい人に限って、意外なほど腰が低かったりしますよね。
「あんなにすごいことをしているのに!」と驚いた経験がある方も多いと思います。
他人からの評価が安定してくると、「自分はすごい」と周囲に証明し続ける必要がなくなる人もいるのでしょう。
達成感生成工場を必要以上に動かさなくても、自分の価値が簡単には揺らがなくなる。
腰の低い一流の人を見ていると、そんなふうに感じることがあります。
アメリカの心理学者マイケル・カーニスは、高い自尊心にも「壊れやすいもの」と「安定したもの」があると考えました。
壊れやすい高自尊心は、成果や人の評価しだいで揺れやすく、それを守るためにいつも身構えてしまうもの。
一方の安定した高自尊心は、日々の出来事に左右されにくく、自分を大きく見せて守る必要の少ないものだとされています。
腰の低い一流の人は、きっと後者を手に入れた人たちなのでしょう。
「中途半端な人ほど面倒」に見えるのはなぜ?
反対に、壊れやすい自尊心が強くなりすぎると、人の意見を受け入れる「素直な心」が失われていきます。
大事なアドバイスを聞き入れられなければ、当然ながら人は成長しません。
とくに小さな実績を残し始めた人ほど自尊心がかえって強くなり、なかなか人の言うことを聞かなくなるものです。

自分の未熟さに気づけない「ダニング=クルーガー効果」
この現象を考えるヒントになるのが、心理学者のジャスティン・クルーガーとデイヴィッド・ダニングが1999年に発表した実験です。
二人は大学生にユーモアの理解や論理的な思考、文法のテストを受けてもらい、自分の出来がほかの人と比べてどのくらいかを予想させました。
すると、成績が下位4分の1だった人たちは、実際には12パーセンタイル前後だったにもかかわらず、自分では62パーセンタイル前後だと見積もっていたんです。
二人は、能力が足りないと、自分の足りなさに気づくための知識や技能まで不足しやすいのではないか、と考えました。
この現象は二人の名前をとって「ダニング=クルーガー効果」と呼ばれています。
救いなのは、この話に続きがあることです。論理のトレーニングを受けた人たちは、自分の実力をぐっと正確に見積もれるようになりました。
論文には「自分の無能さに気づかせる方法のひとつは、その人を有能にすることだ」という一文まであって、私はこれを読んで思わず苦笑いしてしまいました。
自尊心を守ろうとするほど、学べなくなる
実力がつけば見えてくるものがある一方で、自尊心を守ることにこだわると、その実力をつける機会まで逃してしまいます。
ジェニファー・クロッカーとローラ・パークは2004年の論文「自尊心を追い求めることの代償」で、このことを指摘しました。
自尊心を守ること自体が目的になると、人は失敗を学びのチャンスではなく、脅威として受け取るようになるというのです。
脅威だと感じれば、批判には反論したくなり、失敗からは目をそらし、つい言い訳を探してしまいます。
成長を後押しするはずの自尊心も、「自分の価値を守ること」そのものが目的になってしまうと、逆に成長の邪魔をしてしまうわけです。
中途半端な段階の人ほど面倒になりやすいのは、こういう仕組みなのだと思います。
私も、自尊心で大いに失敗しました
ここまで偉そうに書いてきましたが、私自身もこの自尊心で数えきれないほど失敗してきました。
なかでもいちばんの失敗は、どんなにすごい人からダメ出しをされても、それを受け入れられなかったことです。
直接言われると、どうしてもダメだった
何かを否定されると、自分の中にある失敗を悪いものだと思えなくなってしまうんです。
相手は私よりはるかに実績のある人なのに、言われた瞬間に心のシャッターがガラガラと下りてしまう感じでした。
あのとき素直に受け入れていれば、もっと人の意見を取り入れて、ずっと早く成長できたはずだと今になって思います。
ところが不思議なことに、本や文献、ネットでの評判から自分で見つけた欠点は、わりとすぐに受け入れられたんです。
「誰かの自分に対する悪評の中にこそ、自分を成長させてくれるヒントがある」と、人前で公言したことさえあるほどでした。
同じ「欠点」なのに、自分で拾ったものは飲みこめて、人から手渡されたものは突き返してしまうわけです。
言葉の中に「悪意」を探してしまう

振り返ってみると、人から直接言われると、なぜかその言葉に悪意があるように感じてしまうところが、私のいちばん悪いところなのかもしれません。
実際には、親切心から言ってくれた言葉もたくさんあったはずなのに、です。
先ほどのソシオメーター理論を思い出すと、この違いにも少し納得がいきます。
目の前の人からの否定は「自分は受け入れられていないのでは」という信号として心の針を大きく揺らすのに対し、自分で見つけた欠点では、その揺れが起きにくいのかもしれません。
クロッカーとパークが指摘した「批判を脅威として受け取る」状態に、私は人から言われたときにだけ陥っていたのだと思います。
しかも当時の私は、自分では自尊心を「出していない」つもりでいました。
あとになって「あのときは出てしまっていたな、嫌な思いをさせたかな」と気づいたことは、一度や二度ではありません。
音楽をやっていくほどの自尊心を持っている人間は、全開で突っ走っていても「オレは人には出していない」と思いこみがちなんです。
それでも、頑固さが育ててくれたもの
ただ、この頑固さが悪いことばかりだったかというと、そうとも言い切れません。
人に何を言われても簡単には曲げなかったからこそ、時代に流されず、自分の中にある音楽を信じる強い気持ちが育ったのだと考えているんです。
流行の音がめまぐるしく移り変わる音楽の世界で、この気持ちがなかったら、私はどこかで自分の音を見失っていたかもしれません。
ですから、自尊心も頑固さも、まったくなくしてしまえばいいというものではないのでしょう。
人から届く言葉には素直に耳を開きつつ、自分の中の音楽を信じる気持ちだけは手放さない。カーニスの言う「安定した自尊心」とは、案外こういうものなのかもしれません。
自尊心との上手な付き合い方

では、自尊心とはどう付き合えばいいのでしょうか。
いちばん大切なのは「人には見せない」ことだと私は考えています。
熱い感情は自分の中だけにとどめて、その火の粉が周りの人にかからないようにしてあげてください。
「出てないつもり、でも出てるかも」くらいがちょうどいい
とはいえ、私の失敗談のとおり、自分で「出していない」と判断しても当てにはなりません。
なので「出していない」と思いつつも「いや、出ているかな?」と疑いながら過ごすくらいが、ちょうど良いバランスです。
自尊心は、自律心でコントロールするものなんですね。
自分より大きな目標に目を向ける
先ほどのクロッカーとパークの論文は、代償を避ける方法として、自分よりも大きな目標や、周りの人のためにもなる目標に目を向けることを勧めています。
これは作曲の仕事にもそのまま当てはまる話です。
私は曲を書く前に、「このシーンをどう彩るか」という演出をまず考えます。
主役はあくまで作品や映像であって、自分の腕前を見せびらかすことではありません。
そう考えると、自分の自尊心を守ることより、作品をよくするためのアドバイスのほうがずっと大事に思えてきます。
私が自分に課している3つのルール
そのうえで私は、次の3つを自分のルールとして心に刻んでいます。
- 自尊心は、「人に見せるものではない、自分の中だけにとどめる」こと!
- 自尊心は、「素直な心を邪魔するほど強く持ってはいけない」こと!
- 自尊心は、「人間関係においては、いつでも捨てる覚悟を持つ」こと!
まとめ
自尊心は、大きすぎても小さすぎてもいけません。
夢を追うための燃料として持ちながら、自分で自分を律して付き合っていく必要があります。
研究が示すように、現実とかけ離れた自己評価や、自分の価値を守ることへの強すぎるこだわりは、人を遠ざけ、成長の邪魔をしてしまうことがあります。
人生の目標を達成し、人間関係もきちんと築けるように、私もまだまだ日々精進していきたいと思います。

コメント
一寸の無視にも五分の魂。
圧倒的に自分より劣るのに更に努力もしない環境では自尊心を出さないなんて無理。
けど1つだけその方法がある。それを実践してる。