音楽理論の勉強を作曲に活かせてますか?音楽理論が役立つ本当の方法

ピアノを弾く人なら、楽譜が読めなければ演奏できないので、理論も必死に勉強するはずです。

けれども、感覚の比重がずっと大きい作曲ではどうでしょうか。

ここで少し意地悪な質問をさせてください。理論書を開いてスケールやコードネームを覚えたことが、実際の作曲で役に立ったという経験はありますか。

コードから曲を組み立てる人なら多少は使っているかもしれませんが、「ものすごく役に立った!」という声を、私はほとんど聞いたことがありません。

専門学校で和声学を教えていても、事情は同じです。

毎週の理論の授業は理解できているのに、それを曲づくりで使いこなせていない、というより使いこなそうと思ったことすらない学生がほとんどなんです。

体感では9割近くの学生が作曲を「難しい」と感じていて、その原因のひとつが、理論と作曲が頭の中で別々の引き出しにしまわれていることにあると私は考えています。

なぜ「勉強した理論」は作曲に効かないのか

学校の英語6年間と同じ落とし穴

中学と高校で6年間も英語を習ったのに、話せるようになった人は多くありません。

日常生活で役に立った場面となると、さらに少ないですよね。

理論も同じで、一生懸命に勉強すれば理解はできますが、自分から使いどころを探さないかぎり、知識のまま眠り続けます。

この現象は、心理学でも古くから知られています。

1901年、心理学者のソーンダイクとウッドワースは、ある課題で鍛えた力が別の課題にそのまま移る、いわゆる「学習の転移」は思ったほど起きないことを実験で示しました。

転移とは、Aで身につけた力がBでも使えるようになることです。

教室で解いた理論の問題が、作曲という別の場面で自然に役立つことは期待しにくい、ということなんです。

「使い方」と「すごさ」を教えられる先生が少ない

もうひとつ、教える側の問題もあると私は思っています。

ドリアンスケールの音の並びは誰でも教えられますが、ドリアンがどんな歴史を経て今に残ったのか、なぜメジャースケールより扱いにくいのかまで語れる講師は、まずいません。

ちなみにドリアンは、古代ギリシャの地名にちなんだ名前を中世の教会音楽が借りてきた「旋法」のひとつで、旋法とは長調・短調が生まれる前の音階の型のことです。

ハーモニックマイナーやメロディックマイナーも、理屈だけならすぐに教えられます。

ところが、バッハが操るハーモニックマイナーの凄み、すぎやまこういちが扱うメロディックマイナーの美しさを伝えられる人はごくわずかです。

バッハのハーモニックマイナーは、本当に鳥肌が立つレベルなんですよ。

専門学校の理論の授業は、音大で一通り学んだ演奏家や、作曲経験の少ない若い講師が担当していることも多く、実作業でどう使っているかを示せる人はなかなかいません(もちろん、素晴らしい先生も少数ながらいらっしゃいます)。

1年生の楽典は「とりあえず基礎を」と軽く考えられがちで、学校のエース講師が受け持つことはほとんどないんです。

理論は満点。でも、それが何の役に立つのか

私自身も、学生時代は「これが一体何の役に立つんだろう」と思いながら授業を受けていました。

それでも理論のテストは100点で通過し、知識だけなら学生の中で全国トップレベルという状態だったんです。

ただ、本人はかなり冷めていました。「勉強すれば誰でもなれるし、何の自慢にもならない」と。

せめて「2、3年生になると授業はこれを前提に進むから、今のうちに固めておけ」と一言いってもらえていたら、と今でも思います。

英語でいえば「来年から授業は全部英語だぞ、今やらないとヤバいぞ」というようなものですね。

最大14タイトル同時進行、そして締切地獄

破竹のデビュー

転機は、プロになってから突然やってきました。

学校を卒業すると同時にプロの作曲家としてデビューし、いきなり驚くほど大きなプロジェクトに参加させてもらったんです。

ありがたいことに作品は世界的に高い評価をいただき、イギリスのWikipediaにも掲載されました。

2作目も好評で、仕事は雪だるま式に増えていきます。

複数タイトルの同時進行は当たり前になり、ピーク時には最大14タイトルを同時に抱えていました。

今振り返っても、とんでもない時代だったと思います。

理想を追うほど、締切が迫ってくる

当時の私は、理論をほとんど使わずに作曲していました。

自分の中にあるものだけで新しい音楽を生み出したい、曲を書くたびに新しいテクニックを開発してやる、という尖りきったオリジナリティ至上主義だったんです。

その結果どうなったか。1日2曲のペースでもまったく間に合わず、締切はたまる一方でした。

実際に破綻こそしなかったものの、いつ堤防が決壊してもおかしくない状態だったと思います。

締切前の「とんでもない決断」が英断だった

大好きな曲を、耳でコピーする

追いつめられた私が選んだのは、好きな曲のエッセンスを取り入れることでした。

楽譜は出ていないけれど大好きな曲を耳でコピーし、どんなテクニックが使われているのかを調べてみようと考えたんです。

締切が山積みの状況で、わざわざ時間を割いてコピーをするのですから、今思えばかなり無茶な判断ですよね。

ところが、これが大正解でした。

コピーを進めるうちに、世の中のカッコいい曲がどんな痺れるコード進行や転調でできているのかが、手に取るように分かったんです。

理論が「翻訳機」に変わった瞬間

たとえば、コードをⅠmやⅤのように「主音からの距離」で捉えていれば、そのコードが曲の中でどんな役割を担っているのかがすぐに分かります。

キーがCの曲で、ラ♭の上にド・ミ♭・ソが鳴っていれば、同じ主音を持つ短調(Cマイナー)からA♭△7を借りてきた「借用和音」だと一瞬で見抜けるわけです。

借用和音とは、本来は別の調に属するコードを一時的に借りて、響きに陰影をつける技のことですね。

「このタイミングでこう借りれば、こんなにカッコよくなるのか!」と、コピーのたびに発見がありました。

すごいと感じた曲には、決まって自分の音楽にはなかった和声やコードの使い方が隠れていたんです。

そのエッセンスを理解して取り入れると、制作スピードは大幅に上がり、曲のクオリティまで上がっていきました。

そこでようやく気づいたんです。

「手に取るように分かった」のは、学生時代に徹底的に叩き込んだ理論が土台にあったからだ、と。

チェスの名人と同じことが起きていた

この感覚は、認知心理学の有名な研究とよく似ています。

1973年、心理学者のチェイスとサイモンは、チェスの名人が実戦の盤面を数秒見ただけで駒の配置をほぼ正確に覚えられる一方、駒をでたらめに並べた盤面では初心者と大差がないことを示しました。

名人は駒を1つずつ覚えているのではなく、意味のあるまとまり、いわゆる「チャンク」として盤面を読んでいたんです。

理論を身につけた耳も同じです。

「ド・ミ♭・ソ・ラ♭」という4つの音がバラバラに聞こえるのではなく、「Cマイナーから借りたA♭△7」というひとかたまりで聞こえてくる。

理論は、音をチャンクにまとめるための辞書だったわけです。

バッハも「コピー」で腕を磨いた

実は、偉大な作曲家たちも同じ道を通っています。

バッハは若い頃、イタリアの作曲家ヴィヴァルディらの協奏曲を、鍵盤楽器やオルガン用に何曲も編曲しました。

他人の傑作を自分の手で書き写し、組み替えることで、イタリア流の明快な構成感を自分の血肉にしていったといわれています。

あのバッハですらコピーで学んだのだと知ったとき、締切前に耳コピを始めた自分の判断が、少しだけ誇らしく思えました。

世の中のすべての曲が「自分だけの教科書」になる

理論を使って曲を分析できるようになると、見つけたテクニックはすべて言葉にして残せます。

言葉にできれば、いつでも取り出して使えるので、私はどんどん自分の引き出しに収めていきました。

楽譜が出版されている曲は、有名なほんの一部にすぎません。

だから私は、テレビCMや番組で一瞬流れただけの曲でも、勉強になりそうだと思えば録音して研究しました。

理論さえあれば、世の中に流れているすべての音楽が教科書になる。

英語を日本語に訳すように、どんな曲でも自分の言葉に翻訳できてしまうんです。

尖った気持ちだけで作曲していた頃の私に足りなかったのは、まさにこの視点でした。

どんどんレベルが上がっていく世の中の楽曲に追いつくには、人が考えた素晴らしいアイデアから学ぶことが欠かせなかったんです。

それでも、いちばん大事なのは感覚

ここまで読むと、理論さえ学べば作曲がうまくなると思うかもしれません。

けれども、理論だけで作曲力が劇的に伸びるわけではありません。

私の感覚では、作曲に必要な力は感覚が7割で、理論で補える部分は3割ほどです。

ただし、この3割は侮れません。理論をフルに活かせば、感覚が50の人でも80まで届きますし、80あればプロとして十分にやっていけます。

理論を40まで高められる人なら、なんと90です。

もちろん数字はあくまでイメージですが、理論は感覚の代わりではなく、感覚を何倍にも生かすためのブースターだと考えてもらえれば近いと思います。

ジャズの巨人チャーリー・パーカーの言葉として「コード進行を学べ、そして忘れろ」というものが伝わっています。

理論を体に染み込ませたあとは、それを意識せずに感覚で鳴らせる状態こそが理想なのでしょう。

まとめ:理論とコピーは、いつもセットで

音楽理論は、音楽をつくる人たちの世界共通語です。

アメリカでもフランスでも、フィリピンでもブラジルでも、呼び方こそ少し違えど、作曲家はみな同じ理論を学んでいます。

そう考えると、理論を学ぶことは、世界中の名曲と会話するための言葉を手に入れることなのかもしれません。

そして、その言葉を本当に使えるものにしてくれるのが、楽曲のコピーです。

私の授業でも、理論と作曲が直結するよう、コピーと分析を組み合わせた実践的な方法を取り入れています。

クラシックでも歌ものでも、この方法は確実に役に立ちます。

あなたにとっての最高の教科書を見つけて、作曲をとことん楽しんでくださいね。