管理人プロフィール

name:ゆうげきP

はじめまして。

閲覧ありがとうございます。

sound18という屋号でスタジオを経営しております。

本業は、映画やTVアニメ、ゲームなどの音楽を作っています。関わった作品は100本以上で、制作した楽曲も2000曲を越えています。

また、現在は音楽専門学校で、作曲&映像音楽の講師をしています。

経歴

1999年 関西にある大学の経済学部を卒業

2003年 某ゲーム会社にサウンドクリエーターとして入社

2005年 某世界的なヒットゲームの開発に参加

2006年 wikipediaに掲載される

2007年 独立しフリーとして活動 はじめて自宅に音楽スタジオを設営

2009年 サウンド専門の会社に入社

2014年 デビュー10周年 サントラも30枚を超える

2015年 ゲームだけでなく、映画やアニメの音楽も制作

2016年 自宅外に個人用スタジオ(sound18)を設営

音楽作家になった経緯

実は、音楽作家を本格的に志すようになったのはかなり遅い方で、19歳からでした。

音楽家としてはかなり遅いスタートですね。

というのも、それまではずっと野球選手を目指していました。

高校野球で投手をしていた3年生の時、肩とヒジを壊してしまい、野球を続けることが出来なくなってしまいました。

それでも頑張って野手に転向したりしていたのですが、ついに野手としても腰を悪くしてしまい引退しました。。。

そんな絶望の中、自分を救ってくれたのが音楽でした。

僕は幼少の頃より音楽の英才教育も受けたことがなく、音楽が得意、、、どころか苦手だった音楽を、気がつけば音楽が好きになっていました。

得意なことより、苦手なことの方がいっぱい勉強できることがあるっていう思い込みからですね笑

その苦手な音楽を勉強していくことがとても楽しく、バンドを結成し、デビューすることを目指しました。

成人式にゲスト出演したり、ラジオ番組に出演したり、コンテストに出せばほとんどの楽曲が入賞し、グランプリも一度とることができました。

それでも、、、デビューは出来ませんでした。

一旦自分の中で線引きをしていた、大学卒業までにデビューできなければ引退するというラインに、しっかりとけじめをつけようとしました。

今考えるとおそろしく高いハードルですね笑

当時は本当に引退し、商社マンをはじめました。

しかし、社会人になって感じる感覚があります。

「人生これでいいのか、、、」

という感覚に押しつぶされ、再度音楽を志します。

23歳の時でした。

そこから商社を退社し、音楽の道を目指します。

1人でやるよりも、ライバルがいるほうがいいと思い、音楽の専門学校へ入学しました。

大きな決断でしたが、今となってはよい決断だったと思います。

ネットでの情報

個人情報は、wikipediaなどに掲載させていただいております。

Kento Hasegawa の "DEVILS NEVER CRY"(スタッフロール) や Vergil Battle 1 の他にも多くの音楽が聴けます。 Kento Hasegawa のトラック、アルバム、画像を検索できます。
Type: Person, Gender: Male, Born: in Hyogo, Area: Japan